日本語は北京語より広東語に似ている

今日のお昼はメンバーのお別れランチがあったようで、自分はあまり知らない人だったので行かなかったのだが、Brent と Karan も行かなかったようなので、3人でランチ。テーマは「子音と母音について」。

しかしここの人たちは本当にいろいろな言語を知っている、そして喋れる。中国語分かる人は日本語も多少知識あると思った方がいい。全員エンジニア(含むインターン)なのでみんな工学系の人のはずなのだが、音声学から音韻論までもちゃんと押さえているところがさすが。自分はこのあたりの話は工学に来てから学んだのではなく、文系の言語学の授業として学んだので、NAIST みたいな単科大学ではどうしても手薄になってしまうところではある。(その代わり機械学習とか統計的自然言語処理については突っ込んだ議論ができるわけだけど)

そこにいた全員中国語と日本語と英語に関してある程度知識はあったので、英語ではどの音は区別しないかとか、北京語でこの音は区別しないけど広東語では区別するとか、逆に上海訛りとか台湾訛りでは区別しないとか、日本語に来るときにこの音の差は消えてしまったとか、そういう話で盛り上がる。Karan は広東語も北京語も分かるので、日本語の漢字の読みを聞いて「日本語は広東語に近いのでぼくには勉強しやすい」と言っていたり(笑) でもそういうのはあると思った。せっかく日本に生まれて日本語が喋れるのだから、中国語とか韓国語とか学びやすい言語は学んだらいいと思う。ヨーロッパの人は英語を身につけるのに(母語と英語の差異がそこまでないので)日本人ほど苦労しなくてよくていいなぁ、なんて言っている暇があったら、印欧語圏の人と比べて圧倒的に覚えやすい韓国語や中国語を勉強すれば有利なのに、と思ったりもする。まあ、とはいえ英語を無視するわけにも行かないので、余裕があれば、だが……。

そういえば、Stanfordアメリカの大学では珍しく4学期(クォーター)制で、他で有名どころは UCSD (カリフォルニア大学サンディエゴ校)くらいか?という話だったのだが、日本も4学期制って NAIST くらいしか知らないなぁー。彼らも言っていたけど、4学期制だと2ヶ月で1期なので、授業がつまらなくても数週間(=つまらないと感じてしまってから終わるまでの時間)耐えれば次の授業が始まってお別れできるので、このシステムはいいと思うんだけどな? 学生がものすごく忙しくなるというのが唯一の欠点だが、まあ学生は忙しくてナンボだと思えば……。Karan の話では「中国語の授業を取らなかったら3年で絶対卒業できるけど、自分は趣味で中国語の授業を取ったので4年かかった」とのこと。こういう余裕があるのがよいね。

午後はプレゼンテーションのワークショップ(インターン対象だが、内容は別に学部生向けの一般的な内容)。研究のスライドとビジネスのスライドの考え方の違いが分かって参考になった。MBA インターンなど主に文系インターン向けのスライドの作り方だと思うが、Keynote の使い方も習得してみたい。いつも思うのだが、Keynote は「高橋メソッド」をナチュラルにする(Keynote で作ると自然と高橋メソッド風にならざるをえない)ためのソフトだと思う。

でかいプレゼン 高橋メソッドの本

でかいプレゼン 高橋メソッドの本

両者に共通しているのは、あとで読み返すためのスライドではなくて、その場に来ている人に印象的に伝えるためのスライドなんだなぁと。研究のスライドはあとでトークなしの状態で見られることが往々にしてあるのでスライドにもそれなりの情報がないといけないが、そういう前提がなかったら作り方も違うんだなぁ、と思う。

PowerPoint はデフォルトのまま作っていくとごちゃごちゃしていくように作られているが、Keynote はフォントの大きさといいタイトルの幅・高さといい、デフォルトではたくさん書けない(=高橋メソッド風)ようにできているので、こればかりは思想の違いなんだろうなぁと思った。一言で言えば「Less is More」。あえていろいろ多機能にしないことでフォーカスを絞るような、そういう思想が共通しているのだろう。高橋メソッドも方法論としてああいうスタイルを定型化(「高橋メソッドで行こう」と思ったらデフォルトでは大体似たスタイルにならざるを得ない)したのは偉いと思うが、KeynoteApple 製品全体のそういう「哲学」(括弧付きで書いてしまうのは哲学科出身だからちょっと恥ずかしいので(^^;)を体現している、そしてソフトウェアのレベルで強制しているところがすごいなぁ。