計算機管理

最近いろいろあって研究室の Gentoo 機を引退させるという話になっている。バイナリが動かなくなったりすると困るので、1台だけ環境を残して残りは廃棄。ほとんど使わないのに常時つけておくのは電気代の無駄、ということもある(電源容量のほうが逼迫している)。

研究室(みたいな小規模なところ)での計算機管理、昔は喜んでやっていたけど、大学院入るころから自分で進んでやることはなくなった。労力の割に感謝されない、と言うと感謝されるためにやっているようでさもしい感じだが、かかる労力の絶対量が多いのと、研究で忙しいときでも計算機トラブルは関係なく割り込んでくるし、ちょっとこれは一人でやるのは大変だ、と思ったのが一番の原因(なんで何人かで分担して今はやっている)。

前の研究室では僅かながらアルバイト代をもらっていた(研究室内で管理できる人がいなかったので、先生が同情してくれたのであった)が、松本研究室では全員なにがしかの係を割り当てられている(そしてそれぞれがそれなりに大変な作業)ので、研究室全体の仕事で(ひとりだけ)お金をもらうのは変だと思う。むしろ仕事の多さ(頻度)という意味では、計算機係よりは美化係や書籍係の人にアルバイト代出したほうがいいと思うのだが……。

企業の研究所だとこういう計算機のメンテナンスは特別の担当の人がいて、研究者自身が管理しなくてよいのがいいシステムだと思う。共用部分の掃除は清掃業者の人、本の購入は事務の人がやるように、計算機資源も管理する特別な人が(業務として)やったほうが、研究したい人は研究に集中できると思うし。実は自然言語処理がだいぶソフトウェア寄りな分野だから、それでよいと思えるのかもしれないけど(データベースとかもっと実装寄りの分野だと自分で面倒見ないといけない部分も多いのだろうと思う)。

問題は、全然研究に関係ないことなのに、なんとなく研究に間接の間接的くらいで関係する用事(真の意味での雑用)をしていると、仕事したつもりになる(もしくは研究をする気力・時間がなくなる)ことで、特に研究進んでいないときにこういう魅力(に感じない人がほとんどだろうが……)があると、ふらふらと吸い込まれていってしまうのだ。

予備校のときの生物の先生が、勉強はさっぱりだったが海に潜って生き物をつかまえるのが抜群に得意で、その技術があったから大学院に入学できた、なんてことを言っていたのを今でも憶えているが、たぶんそういうのは稀で、ほとんどの場合はその才能は活かされずに埋もれてしまうような……。

論文〆切間際になると .emacs とかいじり出してしまう人、要注意ですよ!