簡潔な報告

ラス・カサスの『インディアスの破壊についての簡潔な報告』を読んだ。

この本はスペイン人(とドイツ人)のキリスト教徒がラテンアメリカに行ってそこの人々をいかに殺していったかを淡々と羅列しているだけの本なのだが、逆に人間ここまで残虐になれるものかとお腹が痛くなる。単にこういうことした人がいた、という話なら個人の問題でしょ、と言えるかもしれないが、スペインから数千人渡っていった入植者全員が訪れる村を全て皆殺しにして金を奪っていくとなると、これは個人の問題ではないだろう。

奴隷にするためにひたすら捕らえて売りさばいていた、という話なら(まだ)分かるが、なんで村1つ数千人全部殺して次の村に行くのだ? 犬の餌にするために連行した(食事は与えないが、お互い食べ合うのは許可していたらしい)、という記述はあるが、これはひどい

全部で1500万人殺したと書いてあるが、爆弾や銃で殺すならまだしも、剣と槍だけでどうやってこれだけ殺せるのか想像もつかない。わざとペストに罹って死んだ人の毛布を贈答品だとして送って流行らせて壊滅させたという話もあるので、全部が全部実際に行為に及んだのかは分からないが、それにしても。

エンコミエンダ制とかコンキスタドールとか世界史で習ってもこんなことしていたというところまで考えが及ばなかったが、やはり人間は後先の事なんて考えず収奪できるかぎり収奪して自ら生きていけないほど環境を破壊してようやくそれに気がつく生き物なのではないかと思ってしまう。

という本を突然読もうと思っていたのにはわけがあって、昨日のお疲れさま会で話していて、え、世界の歴史についてそう思っていたの、と驚いたことがあったからだ。理科系の人は先日の「あるある大辞典」とか「水からの伝言」とか信じるのはありえない、というような反応を返すことが多いが、政治・経済とか歴史の話になると逆にありえない認識をしていることがある。全部知識を持っておけ、と言うのではないが、話を聞いたら(詳細までは知らなくても)それは少し考えたらおかしな話だ、という結論が導けるくらいの能力がないと、簡単に情報操作されてしまう。代ゼミの中嶋先生はよく「生物学的直観」という言葉を好んで使っていたが、細かい知識も大事だが、教育で養うべきはそういうような「経済学的直観」とか「歴史的直観」ではないかな。