エンジニアは性善説かつオプティミスト

借りぐらしのアリエッティを観に新宿ピカデリーへ。夏休みになると小学生中学生が増えるから、と思ったのだが、すでに多少小学生っぽい子どもたちがいる。もう夏休みの時期かあー。作品が始まる前の広告で、ターゲットの年齢層が分かる(笑)

実は自分は志田未来のファンなので、なかなか楽しめた。内容的には、なんか時間短かったな、という印象。もう少し余韻があるといいのだが、余韻に入る前に話が先に進んでしまう。これが若い監督だからということだろうか。遷都じゃなくて千と千尋の神隠しでおにぎりを食べるシーンが自分の大のお気に入りなのだが、そういう「ため」がないのである。小人の視点と人間の視点を CG や音を駆使して表現したり、そういうテクニックはさすがだと思うのだが、登場人物の「諦め」が早すぎるところにちょっと違和感。

夕方は駒場東大前のというお店で科学史・科学哲学の集まり。自分が学部時代に中国から留学してきて数学史の研究をしていた方が来日されたので、その方を囲む会、ということで@sumidatomohisa さんが声をかけて、10人少し集まったのである。

いつもエンジニアの中にいるとプラグマティズムの中にいるというか、楽天的な考えに支配されているのだなと思って大変参考になる。たとえば先日日中韓国会図書館は館長同士がミーティングを開いてアジア圏のあらゆる文献を収集しているし、国会図書館デジタルアーカイブを進めているという話をしたのだが、中国やロシアでは時の権力が変わるだけで資料にアクセスできなくなったりすることが往々にしてある(史実として有名なのは焚書坑儒か)そうで、国がそういうプロジェクトを進めているのは、コントロールしたいという意図もあるのだから、手放しで喜べるものではない、という話はなるほどなと思う。確かに自分は無邪気に技術で解決できるものは技術で解決すればいいのではないか、と思ってしまう傾向もあるし。

ただ自分がこうやって流れ流れて情報系、その中でも特に人工知能、その中でもさらに自然言語処理という分野を研究の舞台に選んだのは、基本的にこの分野の人たちは全員性善説なので、誰かの悪口を言ったりする人もいないし、いじめやえこひいきや政治的な学会付き合いもないし、自分の自慢をする人もいない(関係ないか)し、これまでいろいろな分野を見てきたが、自然言語処理が一番人間的に健全な分野だと思うからである。「◯◯さん、あの公募出しました? わたしも出しましたけど、誰が行くんでしょうねえ」みたいな話は日常茶飯事で、大学のポストなんて数もほとんどないし、誰かを出し抜いてうまいポストに就こうとするように行動しておかしくない状況なのに、みんな仲良く和気あいあいとしているのがすごいと思う(談合して調整しているわけではないし、お互い腹の探り合いをしているわけでもない)。最近他の人の就職活動のお手伝いをすることが多いのだが、やっぱりそれもこういう分野だからこそ困っている人を助けたい、もっと才能が活かせる場所があるなら紹介したい、と思うからである。

そうそう、日本のコンピューターの歴史について研究されている K 山さんともお久しぶりにお会いし、かな漢字変換の歴史について一緒に研究しましょうよ、と持ちかける (笑) デスクトップのかな漢字変換は一応それなりに落ち着いた感があるし、ここでまだ関係者の人たちがいてくれるうちに歴史をまとめておくのも大事かなと思うのである。中国語でも入力メソッドの問題はあるのだが、そこでもここで得られた知見が役立つかもしれないし、あるいは携帯電話のリソースは10年前のデスクトップと同じなので、携帯電話でのかな漢字変換の開発に役立つかもしれないし。

ただ、これは文系の大学院の常だと思うが、博士号を取得するまでに3年で終わることは滅多になく、D7になったりなんだりという話を聞くと、工学はまだましかなぁと思うことはある。学振で2-3年間お給料もらえても、全部の期間をカバーしてくれるわけでもないし……。自分も大学院駒場にそのまま進学していたら同じ悩みを抱えていたのかもしれないが、業績をどう挙げるかという話はなかなか難しい問題である。

あと留学についての話になったのだが、みなさんに交換留学や海外の研究員生活をお勧めしておいた。海外で生活するから語学力が上がるということはないと個人的には思うのだが、海外に数週間でも数ヶ月でもいるだけで、語学力を鍛えなければ、というモチベーションが得られるのが大事で、そこでできた友人たちとメッセージのやりとりをすることで実際に語学力が向上したりするのである。

つまり、海外に行こうが日本にいようが、読む一方聞く一方ならどこまで行っても語学ができるようになるわけではなく、逆に海外にいようが日本にいようが、書いたり喋ったりする経験を積めば、使えるようになる、という話。本当に大事なのはこういう語学力のようなスキルの問題ではなく、言葉がなんだろうと言いたいことがある(向こうが知りたいと思うような内容を自分が持っている)とか、異文化に飛び込んでもなんとかなるという度胸がつくとか、そういうことなのだけど、そういうのって万人が持っているわけではないので、まずは誰でも身につけられる「形」から入るのが王道だと思うのである。

夜遅くまで話したのでちょっと妻の具合が悪くなったようで、タクシーで帰る。申し訳ない。