生きることに不器用な学生たち

外に出ようかと思ったが、明日から仕事だし、外で風邪をもらったりしても困るし、ということで、一日中家の中で過ごす。

先日京都の大垣書店に行ったとき、著者のサイン本があったので購入した「同志社大学神学部」を読了。

同志社大学神学部

同志社大学神学部

自らの高校〜大学〜大学院生活を振り返る、という本で、自分も中学・高校生時代を思い出して懐かしかった。

学生運動の残渣の中、教員との研究に止まらない生き方まで含めた真剣なやり合いだとか、同期や先輩と飲みながら丁々発止議論を戦わせるところだとか、生き方について悩んで相談して率直な意見をもらったり言ったりだとか、たいへんうらやましい学生生活である。自分はそういうのは中学・高校時代にあって、それ以降あそこまで全力で突っ張っていたような時期はない (それ以降は器用な人ばかりに出会っている、ということなのかもしれないが)。要領がいい人たちより、不器用でなにをするにも人より時間がかかるような人たちのほうが自分は好きなのだが (自分もそうだし)、時代としてそういう空気があった、ということなのだろう。現代の世の中ではなかなかあんな温室のような環境はないのだが、松本研の OB/OG、同期の人たちと話しているときが、何を話しても大丈夫という安心感があって、一番近いかな……。

本筋の神学に関しては、自分も中学校に入るまでは親に連れられて毎週キリスト教の教会に行っていたので、日本にいる普通の人よりはキリスト教について知っていると思うのだが、それでも「神学部」という場所はどのようなものか知らなかったので、大変おもしろかった。「神学」とは言うが、歴史的資料を批判的に読み込むこと、そしてロジカルに体系を作り上げていくことが基本で、実際はかなり哲学と似ていて、対象が宗教 (特にキリスト教) かどうかが違うくらいなもの、という印象である (もちろん宗教なので全部をロジカルにすることはできないのだが)。

ところどころ出てくる自慢話ふうのエピソードがちょっと鼻持ちならないと思う人はいるかもしれないが、それを差し引いても (京都での学生生活の四方山話も含めて) 楽しめたので、人文系の大学生活に興味がある人にはお勧めである。(元々は雑誌の連載をベースにしているので仕方ないが、同じ話が2-3箇所に出てくる、というのを片手で数える以上見かけたので、編集の段階で重複はある程度まとめたり流れを整頓したりしていれば、もっとよかったように思う)