自らで作ることこそ意味がある

平日にもほとんど仕事はできないのだが、週末にもほとんど仕事はできないので、査読者へのコメント対応中の論文誌をちょこちょこ見たりするのみ。時間があれば丁寧な添削を返してあげられるのだが、あまり丁寧ではない添削になってしまっているのが申し訳ない。それでも、全くフィードバックがなく何週間も放置されるよりはマシだと思って……。

今日は雨なので家で遊ぶ。段ボールが色々余っていたので、子どもたちに「家だよ」と言って渡したり。下の子を段ボールに入れて遊んでいたら、上の子も欲しいと言い出し、ドアや窓を描いたり、2人で連結して遊んでいたりして、ほほえましい。

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家には Amazon の箱がたくさん。

午後は上の子が「家で工作がしたいから、誕生日プレゼントに工作用の道具を買って」と言うので、車で近所では一番大きい100均まで行く。妻が誕生日プレゼントにリカちゃん人形を買ってあげたので、そのリカちゃん人形のためのベッドを作りたいらしい(ちなみにリカちゃん人形のベッドは公式の数千円するものを以前妻が買ってあげたのだが、そちらは最近下の子が遊んで?いる。小さい枕や布団の大きさが、掴むのにちょうどよいらしい)。YouTube でベッドの自作動画があるようで、見せてもらったりして必要な材料を把握し、木工用ボンドやらリボンやら綿やらスポンジボードやらを買う。誕生日プレゼント、こんなのでいいのだろうか。緊急事態宣言下なので、いつもはレジに人が並んでいるのに、今日はあまり人はいなかった。

帰宅してからハサミで端切れを切ったり、スポンジを切ったり、ボンドでくっつけたりしてベッドのマットやシーツ、枕を作る。スポンジボードでベッドのフレームを作りたかったが、どうも買ってきたスポンジボードの厚みが足りず、木工用ボンドではくっつけることができず、断念。でも、自分でベッドが作れて大満足のようで、よかった。きれいな既製品より不格好でも自分で作ったものの方が(というか作るプロセスが)好き、というのは自分に似ている気がするが、絵や工作好きでセンスがいいのは妻に似ている気がする。特に、その場その場にあるもので創意工夫して、本来の用途とは違うようなものでも柔軟に組み合わせる、というのは、どう考えても妻譲りである(自分は用途外に何かを使うのは頭が固くて相当難しい)。