出席はしなくてもいいのだけれど

今日も補講日。午前中は日野キャンパスで機械学習の授業で、午後は南大沢で2コマ連続アルゴリズムの授業。

アルゴリズムの授業、補講日なのでいつもの半分くらいの出席率だったのだが、授業中に出す問題をいつもぐるっと見て回っていて、今日はほとんどの学生が普通に解けていて少し感動を覚える。いつも、普通に聞いていれば(聞いていなくても、配布資料または教科書のいずれかを全部読めば)少なくとも手は動く問題を選んでいるつもりなのだが、それでも名前以外白紙の人が半分くらいいて、一体全体どうすればいいのやら、と思っていたのである。普段「全然分かりません」と言っているような学生は、補講日には出席しない、ということなのだろうと思うが……。出席しても毎回全く手が動かない学生は、そもそも出席するだけ時間の無駄なので、出席しなくていいんじゃないか、と思っているのだが、授業への出席はコストであるという認識だとすると、そうなるのかもな〜と納得したりする。

まあ、自分は講義でも「大学の授業に出ているだけでは圧倒的に時間が足りず、専門知識が身に付くわけではないから、専門知識を身に付けたかったら独学するなり開発のアルバイトやインターンシップに行ったりして自分で勉強するように」「大学の教育は研究室に入ってからが本番で、研究室ではインプットではなくアウトプットの量に応じて成長する機会が与えられるので、とにかくアウトプットすること」などとかなりしつこく言っているので、彼ら・彼女らが研究室に来たときにどういう状態で来るのか興味津々である。自分は「昔の学生と比べて今の学生はなっとらん」みたいに言うつもりは毛頭なく(そのようなことは微塵も思っておらず)、今の学生は昔の学生と比べて時間の使い方や意識が変わっているので、その変わったところをどのように武器に転用できるか、というところに興味があるのである。昔の学生(若者)はこうだった、と嘆く人が多いならそれは実はチャンスであり、その人が気づいていないうちに今の学生(若者)が得意なことで勝負をかけて出し抜けばいいわけで、小回りのきく組織であればいくらでも戦い方はあるのである(動きの遅い巨大な組織では、過去の栄光に囚われて身動きが取れなくなるのだろうけど)。

夜は保育園の忘年会。といっても、今年は自分は下の子と家でお留守番で、妻と上の子が参加。去年は「父テーブル」みたいな席があって、父がそこに集められてしまって(キャバクラに通う話なんかが始まってしまって)自分はあまり楽しくなかったのだが(そのため、途中から子どもたちのテーブルに逃げて保育担当をしていた)、今年は特にそういうテーブルがなかったそうで、それはよいことだと思う。そもそも育児に積極的に参加している父とそうでない父といて、育児に参加していない親と話しても(これは父だけでなく母もだが)、あまり楽しくないので、自分はそれが父だろうが母だろうが保育園では育児に参加している人と交流したいのである(育児と関係ない話をする相手なら職場に行けばたくさんいるので、逆に保育園では子どもに関する話をしたいし、それは日頃から子どもと一緒にいる人でないとできない)。