見解が違っていてもかまわない

2-3月に休まないと休めないので、有給休暇を取得して午前中は髪を切りに行ったりなんだり。最近左手に力が入らなくなったのだが、何かよからぬ病気の兆候なんだろうか。急性のものかもしれないので様子見をしているが、3月3日の母飲み会の保育で何人かの子どもの肩車をして、筋を痛めたかなぁ。

午後はメール処理を1時間ほどして、researchmap を少し更新。2016年から更新していなかった。科研費の申請に使うので更新するようにと聞いていたが、このシステムを科研費の申請に使われることに賛成していないので、あえて科研費の審査の期間には更新しなかったのである。

研究費や賞の審査、論文の査読をするときは、申請者と審査委員の個人的な(必ずしも研究そのものと関係ない)見解の相違によって低く評価する、というのは研究者倫理にもとるし、むしろ「意見が違う意見こそ全力で守るべき(ヴォルテールが言ったとされる「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という言葉は初めて聞いたときはかっこいいと思った)」というのが、研究者たるべき姿だと思っている。実際、賞の審査や査読でも、自分は自らの立場と同じか違うかでバイアスをかけないように、細心の注意を払っている。無意識のバイアスまで排除することは不可能だと思うが、意識的にバイアスをかけるというのはあり得ないかなぁ(審査に多様性を導入するために、異なる観点から意見をもらえる人に審査をお願いしたりすることはあるが)。

夕方は3月10日に「全脳アーキテクチャ若手の会」という会で招待講演を頼まれていたので、それの準備。何を書くか、ということは決めていたのだが、まだスライドは用意していなかったのである。こういうトークや記事については、何を書くかの部分は紙のノートでデザインを決めてから作ることにしているのだが、いくつかの方法を試してみてこれが一番しっくり来るのでこのスタイルにしている。

何も用意せず突然スライドを作り始めるのは全然ダメで、Evernote 等にメモ書きしてから書き始めるのはまだマシだが、これは書いた内容を丸で囲んだり線を引いたりして立体的に構成することが難しく、後日検索しにくいだとか、あるいは一度書いたら消せないといった不便さがあるにせよ、紙で書くメリットがデメリットを上回るのである。ある程度集中して作業しないといけないときには、すぐに書いて消せるというのはあまりメリットではなく、むしろ編集できない方が都合がよい。(多分、一人でブレインストーミングしていることに相当するので、ブレインストーミングの段階では削除しないで次々とアイデアを出した方がいいということに対応)