午前中は物置の設置。小金井公園のゲレンデですべるためのソリだとかスコップだとかなんだとか、細々とした外用の道具を家に入れるのは何かなと思って(それなりに大きいので、玄関の内側に置くスペースもないし)これまでは屋外に放置していたのだが、さすがにちょっと不恰好かと思って。入れてみるとすっきりで、こんなに片付くならもっと早く導入すればよかった。早くに購入していたら、たぶんもっと荷物が多くて入り切らなくなっていただろうが……。
午後はかかりつけの耳鼻科に行く。自分は定期的な検診で、娘は耳垢栓塞のため(要は耳垢を取りにきた)。前に来たのがいつか記憶していないが、けっこう詰まっている。やはり数ヶ月に1回くらいは来ないといけないもののようである。
土日は手持ち無沙汰(だけど Mac や iPad が使えるわけでもない)なので、「受験と進学の新常識」を読む。こういうのもかさばるし本当は Kindle で読みたいのだが、紙のものでないと家族の前で読めないので……
受験と進学の新常識 いま変わりつつある12の現実 (新潮新書)
- 作者: おおたとしまさ
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2018/10/16
- メディア: 新書
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自分はというと、中学に入ってから(この本の中で紹介されているように)中1ですぐに鉄緑会に入る人がいたりして、正気か?と思ったものであるが、たぶん家の階層というか教育方針が全然違い、東大(あるいは医学部)に入ることが教育としての唯一の目標、みたいな家が(難関の進学校を目指す家庭では?)少なくなく、入ってからかなりのカルチャーショックがあった。大多数の人は(自分のように小6の夏休みから塾に通うような人は、現在はもちろん当時も少数派だったが)そこまで努力せずに中学受験をパスしているように見えたし、大学入試も「え、あんなに遊んでいる人が?」と思うような人も(人知れず努力しているのかもしれないが)ふつうに合格していたので、そこまで詰め込む必要があるようには思えなかったし、今も思えない(本人がやりたいと言うなら別だが、右も左も分からない子に強制的に勉強をやらせる必然性を正当化できないと思う)のである。自分の経験的にも、できない子だからこそ強制的にやらせておくべき、という方針はあまり成功していないと思う(ルーチンワークを適切にこなす人より、独創性のある人を放任で育てるというような環境にずっといたからかもしれないが)。
あまり目の前のシステムに最適化しすぎるとよくないと思うのだけど、自分も親になってみて、親の立場も少しは分かるようになった。娘の通う保育園で、ある親が2歳の子に対して「この子、英語の単語をちゃんと覚えてくれない」と不満気だったと聞いて自分などはドン引きで、それくらいの子だったらそもそも英語以前に日本語を使えるようにならないと、自分の考えを表現したりすることに支障があるのではなかろうか?と思うのだが、みんな必死なんだなと。子どもは自分で判断できないだろうから、親が代わりに与えてあげる、というロジックも分かるのだが、自分自身家庭でも学校でも放任されて育ってきた(自由にしていいが、その代わりに責任は自分で取れと言われてきた)ので、あまりビシビシやりたくはないなぁ。(うちの研究室は、自分が育った環境と比較するとお膳立て具合は高いが、お膳立てするのは最初の1年半だけ)