塾歴が学歴よりも物を言う

2週間前の日記を思い出して書いているのだが、この日何をしたのかをもはや思い出せない(汗)

最近、今朝のことか昨日のことか、というのを思い出せなくなることがよくあるのだが、これも歳によるものだろうか。短期記憶が極端に弱くなってきているのだが……。自分が大学院生時代(教員になってからも)、教員の記憶力が極端に低いことにびっくりしたのだが、いま自分も同じ状態。それで助かる面も多々あったので、学生としては可もなく不可もなく。論文のコメントを全然くれなかったりするのはよくあるので、それは困ったが、いま自分も同じことをしてしまっている。

大学教員というのは仕事が多すぎ、自分としては記憶するのが無理で、TODO に入れたりした側から何をするかアラートが来るまで忘却し、アラートが来たら来た時に目の前の仕事だけ処理する、というような働き方をせざるを得ず、なんか釈然としない。

いつ読んだのかもよく覚えていないのだが、「塾歴社会」がかなりよい本だった。ここ1年で読んだ本の中でトップ3に入るくらいである。地方から首都圏に来たので中学受験ってなんかよく分からない、という人は、ぜひ読むといいと思う。

自分自身は中高一貫校に通ったのだが、塾に通ったのは小6の日能研の夏期講習の1か月、その後1か月空いて10月から栄光ゼミナールに4か月、というイレギュラーな感じとはいえ、この本に書かれていることはほぼ同意。生徒たちはいわゆる御三家だとかなんだとか、学校に関しては多様性があるが、塾に関しては中学受験は SAPIX、大学受験は鉄緑会、とほとんど多様性がない、という指摘も全くその通りだと思う。

自分はこういう風潮は馬鹿馬鹿しいと思うので、わざわざ中学受験でも有名どころではない(当時は武蔵を受ける人はほとんど「学習指導会」という塾に通っていた)ところに、大学受験でもあえて知り合いがいない代ゼミに通ったのだが、世の中(の親)はそういうように動く人は少ないようで、少しでも周りと同じようなことをしたい(周りと違うことをして損をしたくない)、と思うらしく、そういう問題点について考えさせられる本である。

自分の娘も10年後には(東京にいれば)中学受験を考えていると思うのだが、周りに合わせて必死にやろうとして余裕がなくなるくらいなら、能力に合わせたところでいいんじゃないかと思っている。問題があるのは公立中学だけなので、3年間私立中学に避難したら、近くの公立高校に進学する、というのが現実的な選択肢である。1歳11か月ですでにかなり自己主張があるので、自分でやりたいというかどうかに依存するが、最近は何か本人が特にやりたいと思っていないことでも、これやって、と言うと「あーい」と同意してやってくれるようになったので、どうしても受験したくないというのでなければ、受験してもらおうとは考えている。