論文を読むと書くのは大違い

眠れなくなって、午前3時からメール処理したりなんだり。

午後は出勤して EM アルゴリズムについて考えたりする。こういう時間、大事だと思うが、全然捻出できないな……。機械学習の論文、博士号を取得してからずいぶん読めるようにはなったと思うが、まだ書いたことがないので、書けるようになりたいなぁ。

首都大に来て初めて機械学習系の研究が活性化しつつあるので、教科書を読むのに加えて、機械学習の論文の読み会を始めたいなと思ったりする。研究室ができてからの3年間はいろいろと試行錯誤をしていて、離散数学の勉強会をしたり、PRML を少しだけ読んでみたりしていたのだが、首都大の環境(離散数学の勉強も最適化数学の勉強も、研究室に来るまでにはほとんどやらない)ではなかなか機械学習自身の研究は難しいと思い、断念していた。今年の B4 からは、7コマぶん自分が機械学習の授業をしているし、平成32年度からは15コマぶんできるので、少しずつ変わるだろうから、これから5年くらいかけて調整していきたい。

そういえば、英語で教科書を読むのも、新入生の英語力の分散が大きいので現在はやっていない。英語力にそんなに問題がない(たとえば TOEIC 700点以上ある)場合でも専門書は読めなかったり、逆に英語力はそんなになくても(たとえば TOEIC 500点未満)論文は読めたりする人もいるので、技術的な文章を読むのに必要なのは英語力だけではないようなのだが、何が必要なのだろう(数学力ではないことが分かっている)? 

しかし学会関係の仕事が多すぎる。運営側の立場になることが増えるのは仕方ないが、査読する人と投稿する人の数の不均衡があり、依頼する側もされる側もボランティアが前提の査読システムは持続可能ではないように思う。一応自分は投稿する国際会議なり論文誌なりに投稿した数×査読者数ぶんは査読を引き受けることにしているのだが(そうでないと、査読システムへのフリーライドになる)、運営に協力するのもボランティアベースなので、少なくとも自分が定年より前に、現在の学会システムは破綻しそう……。