翻訳は知識がないと難しい

午前中は大学院教務委員会。ある文書の翻訳を業者に出していて、翻訳の単価がそれなりにするということは理解しているのだが、さすがにこのクオリティは?と思うようなものだったので、結局我々(主に委員長である自分画音頭を取って)でチェックすることになってつらみがある。専門知識のある日本人が英語に翻訳し、それを英語ネイティブが校正する、というプランで、見積もりの値段は妥当だったのだが、「専門知識がある」という部分がダウトで、これ翻訳した人はたぶん専門知識ない……(我々の方が知識があるので仕方ないが、知っている人ならこうは訳さないだろう、というような訳がしばしばある)。

我々が下訳を作ってから英文校正をお願いした方がよかったのかもしれないが、もしそうだとすると恐らく(委員長業務として)自分が40ページばかり翻訳しなければならなかったので、仕方ない気もする。結局自分が(委員長業務として)40ページの翻訳を1ページ1ページチェックしているので、どっちもどっちであるが、まだ自分の使う時間は少なくて済む(そして変な翻訳があったらまず自分が責められるのではなく、業者が責められる)ので……。しかしこういう仕事の仕方をしていていいのだろうか、と自問自答する。どうしようもないけど。

昼は文科省対応の書類作成にかかる仕事。この仕事も分量が半端ないのでしんどい。100ページ以上になる資料を昨年から延々準備していて、3月頭の文科省に提出して一区切りなのだが、文科省に事前相談に行ってコメントをもらった結果のフィードバックに対する対応で、〆切が厳しい中いろいろな書類を書き直さないといけない(整合性も取らないといけない)し、細かいフォーマットに対するチェックも半端ないので、本当にこういう仕事は向いていないとつくづく思う。まあ、自分がこういう文書に対して論文執筆と同程度に情熱をかけることができればこのようなフォーマットも厳しくチェックするだろうし、文書の依頼や取り立てもしっかりするのだろうし、他の方々はきちんとやってくださっているので、自分も最後まできっちりやらないと(そういう意味ではこの仕事から解放されるのは、2022年であるが)。

しかしなんで今年はやたらと大学運営業務があるのだろうか。最初から多ければ「そういうものか」と思うのだろうが、さすがに今年度は多すぎる。以前調べた通り、大学運営の仕事にかかる時間が単調増加で、誰かがやらないといけない仕事なのは分かるが、昨年度までと比べると増え過ぎである(昨年度までは他の方々が肩代わりしてくださっていた、ということかもしれないけど)。来年度も今年度より忙しくなる可能性があったが、いろいろ調整した結果、負荷が少なさそうな業務にしてもらえそうなので、それを心の糧に淡々と今年度の業務を終えたい。

午後は武蔵境に移動してお茶をしたりする。そういえば今年度は家で研究室のクリスマスパーティをしなかったので、自分の家に来たことない学生もいるのだなと思ったりする。研究室の規模的に、今年度できなかったらもうできないんじゃないかなと思っている。20人で開催したのが最後だが、10人ちょっとが一番ちょうどよかったかなぁ……。まあ、その代わりに研究室の新入生歓迎 BBQ(兼 OB/OG 会)に家族で参加する予定なので、娘の成長はみなさん見ていただけると思っている(?)