論理的構造をまず把握する

6月に入ってから、土曜日の日中は実家で娘を見てもらっているので、ありがたい。落ち着いて時間を取らないとできない、原稿の執筆やチェックをする(メールの返事は細切れの時間でもできるが、文章を見るのは固まった時間がないとなかなか着手できない)。

午前中は延び延びになっていた原稿のチェック。本来昨年中にやるくらいのお仕事だったのだが(本来を言い出すときりがないが)、娘が生まれてから思ったように時間が取れなかったのである。今年度は、一度週45時間の仕事時間を4-5月は週35時間に減らし、6月から週40時間に戻したので、週5時間分余裕ができたのである。増やすのも減らすのもしんどいので、しばらくこのまま推移したい。

午後はこちらも本来先月〆切になっていた原稿の執筆。自分で原稿を書くのは久しぶりで、ちょっと調べ直したりする必要があり、意外と時間がかかる。というか、自分は文章を書かないと理解できない(キーワードのメモ程度では頭が整理されない)性格なのだということがよく分かった。

大学の仕事の引き継ぎ文書も、キーワードだけが書いてあったりして、既に内容を知っている人はこれで思い出せるのでよいのだろうが、そもそも知らない内容(あるいは忘れた内容)はこれでは思い出せないので、極力文章を追記して残している。ただ、この日記も、ダラダラ書いているのは、そのように書かないとそのときの気持ちを思い出せない(整理もされない)からであるが、自分は大学院以降の訓練によってアカデミックライティングを身に付けたが、もともとは小説とか評論とか、散文を書いていたのを思い出した。最初から理工系の教育を受けている人は、キーワード箇条書きの方が分かりやすいのかも、と思ったりする。

しかし結局キーワード箇条書きを見ながら「このときはどういう経緯でこうなったんですっけ」という話になり、記憶力のよい人が補足してようやく意味がわかる、ということばかりなので、キーワード箇条書きのほうがよい、とは必ずしも思わない。もっとも、分厚い資料をどさっと渡されても、やりたくない仕事だとほとんどの人は読む気をなくすのかもしれないが……(自分は割とマニュアルや FAQ の類は読む方)

しばらく原稿を寝かせてから見直してシステムに投稿したが、このシステムは超絶使いにくい……。何が悲しくて文書構造(段落ごとに段落を作る操作をしないと段落を書けない)を GUI で入れないといけないのか……(しかも別の節に移動すると一旦入力した段落が見かけ上消える)。いくつも記事を執筆する人がいないから改善するインセンティブもないのだろうが、これは(たくさんの記事を見ないといけない編集者が)厳しい……。