アカハラの真相は闇の中

昨日書いた「デート」で思い出したが、中島義道「東大助手物語」を読んだ。本屋に行ってもどこにも置いていないので、Amazon で購入した。

東大助手物語

東大助手物語

これは彼が高等遊民として実家からの仕送りでウィーンに私費留学し、留学先で出会って結婚した奥さんのヒモとして博士号を取得したあと、東大の助手に採用してもらったら、採用してくれた教授から受けたパワハラがひどかった、という話である。
しかしながら、普通はいじめがあったらいじめられた側に問題があるとは言わないものだと思うのだが、読後感は限りなく後味が悪い(明らかに悪いのは教授の方だが)。パワハラの記述自体で気分が悪くなることはないのだが、パワハラを受けた本人がどのように考え、どういう行動に出たのかを読むと、ちょっとそれは八つ当たりではないか、と思うことが多々あるのだ。Amazon のリビューを見てみても、だいたいみなさんの意見に同感である。

とはいえ、彼の書く哲学に関する文章は自分も好きで、自分は高校生のとき彼の「哲学の教科書」を読んで感銘を受け、「大学では哲学するために行こう」と思ったくらいで(しかし大学生になってもう一度読んで「大学では哲学するのは止めよう」と思ったのも、この本)、本人がどういう人かとその人が書く文章がどうであるかはあまり関係がないのだな、と思った。
話は変わるが最近 [twitter:@takeda25] さんが人間に関するツイート(そう書くと身も蓋もないが、それがもっとも適切な表現であるように思う)をされていて、興味深く見ているのだが、自分は後天的に(恐らく留学の前後で)価値観や思考回路が変わったので、あー、言われてみれば確かに昔はそう思っていた、ということがよくある。

もっとも、中高時代からの自分を知る人に再会しても、自分は昔とあまり変わっていないそうなので、自分が思うほど自分は昔と変わっていないか、あるいは自分が思うほど考えていることを言っていないので周りから見ると変わっているように見えないか、いずれかであろう。他人の考えていることを行動だけから推測するというのは難しいものである。