ルールを変えずに参加者だけ変える

妻の調子がよいので近所のロイヤルホスト(歩いて10分くらいのところ)まで車でお出かけ。3ヶ月ぶりくらいだろうか? 最近車で出かけることがめっきり減った。そのせいか、週末や休日に武蔵境に行く頻度も激減。週末は人が多くて疲れるので……。

先日神保町で購入した上野千鶴子「女たちのサバイバル作戦」を読む。

ところどころ変なところはあるのだが、フェミニズムが大きな政治的文脈の中でどのように動いてきたのかざっと概観できてよかった。NAIST時代は男女共同参画室にお邪魔して(どのように戦われてきたか)お伺いしていたものの、あまり歴史的経緯とNAISTの中の問題とを分離して客観的に見ることがなかったのである。

たとえば、「男女共同参画」というのも自分の中ではすでに違和感なく使える単語なのだが、本来は「男女平等」となるべきところであったし、経緯を考えると「女性の地位向上」となるはずだったという話、言われてみればそうなのだが、あまり意識していなかった。「男女雇用機会均等法」も、本当は女性団体は機会の平等ではなく結果の平等を目指していたので、成立前はほとんどの女性団体は反対していたそうだが、そういうのも知らなかった。

確かに機会の平等を担保し、仕事の量で評価することになると、仕事により多くの時間を使えることの多い男性が相対的に女性より評価されるようになるので、これをもって男女平等と言うのは違うだろう。結局男性に有利な条件での競争にしておいて、ルールは同じだから平等である、というのは、確かにある意味平等ではあるのだが、それで本当に平等になっているのだと思うのは危険である。(女性の評価に下駄を履かせるのではなく、たとえば量ではなく質を評価するようになるだけでも、男性に有利なルールが少しは変わるだろう)

留学生でも女性でも、マイノリティが3割を超えるともはやマイノリティではなくなり、無視できなくなる(たとえば研究室も留学生の割合が3割を超えると公用語が英語になったりする)らしいが、首都大のシステムデザイン学部も入学してくる男女比が2:1くらいにはなってほしい(いまは女子学生20%、つまり男女比は4:1)と思うし、どうやったら情報系を希望する女子学生が増えるかと考えているところである。1/3が女性だと、研究室に数人は女子学生がいることになるし、そのうち博士後期課程に進学したり、教員になったりする学生も出てくるんじゃないかな(というか、いまうちのコースの助教の4人中2人は、そういうコースで助教になっているし)。