迷うなら、受けてみる

朝、昨日にやり残した進捗報告の続き x3。みんなコードを書き始めているようでなにより。ただ、コードを書き始めるとなかなかサーベイができなくなるというのも事実。サーベイも並行してできるとよいのだが……(まだみんな2桁も論文を読んでいないと思われるので)。あと、研究テーマに依存するが、日本語で書かれた論文、特に査読のない全国大会や研究会の論文 (というか論文ではなく予稿?) ばかり読むのはあまりよくないと思うのだが、この「あまりよくない」感がなかなか伝わらない。もちろんそれらの中にはよい研究も含まれるので、一切読むなと言うつもりはないのだが……。

などとぐるぐる考えていて、手加減?理想と現実の違い?という記事を見て、似たような感じなのかな〜、と思ったりした。自分はある程度現実路線で、その人が精一杯やった限界に近いところまで行くならそれでよい (逆に言うと能力があってもっとやれると思うのにやらないように見える人には自分は厳しい) と思うのだが、それでも最低限これくらいは体験して卒業していってほしい、と思うこともあり、悩ましい。

日本語を対象とした (日本語であることがポイントである) 研究なら日本語で書かれた文献の調査が主になるのは当然だし、英語で書かれた文献をあまり読みたくないならそれでよいと思うのだが、研究テーマとして日本語を対象にすることがポイントではないならどうしても英語で書かれた文献を読まざるを得ないし、巧みに書かれた論文を読んでいたら日本語で書かれてようが英語で書かれてようが楽しくなってくるんじゃないかな。というか、これが楽しいと思えなくても、これが楽しいと思う人もいる、というのが分かればいいかなと思うのである (研究って、詰め将棋の鑑賞のように、ある程度訓練しないと楽しさが分からないものだと思うので)。まあ、最初は苦しいものなので、抵抗感が強いのも分かるし……。ただ、英語がある程度読めるようになっておくのは、今後どこに行くにしても損ではないだろうから、研究はともかくそれくらいは身につけさせてあげたいと思うのである。

研究の面でいうと、「これは先行研究でやっていないから微妙 (できなさそう)」と残念がる学生を NAIST のときからちらほら見かけるのだが、声を大にして言いたいのは、先行研究で全く同一のことをやっている人がいたらそれは自分がやっても新規性がなく研究にはならないテーマなので、先行研究でやっている人がいなかったらむしろ喜ぶべきことであって、なんでこれまでやられてこなかったのか? その問題自身に意義があるのか? 手法はどうか? といったようなことを考えて先に進めばよいのである。道がないから先に進めません、というのはこれまで舗装された道しか歩いてこなかったからそう思うのかもしれないが、研究というのは道がないところに道を作り、後ろに続く人のために整備しておいてあげるという営為なのであって、道がなくなったところから先が勝負である。

これの変種としては、論文を読むのはよいのだが新しい論文を読むたび「この XXX という手法が使えるタスクを探しています (XXX は数ヶ月ごと、あるいは数週間ごとに入れ替わる)」あるいは「この XXX という手法を YYY のタスクに適用したらできそうだと思います (YYY のタスクは数ヶ月ごと、あるいは数週間ごとに入れ替わり、それに伴って XXX も変わる)」というパターンがある。手法かタスクかどちらかを固定して、その手法のよさが言える (必ずしも自分は興味ないかもしれない) タスクで実験する、あるいはそのタスクの特徴に合った (必ずしもかっこよくない古典的な) 手法を使う、というのでよいと思うのだが、新し目の手法を少しだけ違うタスクに「適用」することが研究だ、というような態度は、結果的にそういう形になることはあるが、最初からそれを目指すのはちょっと違うんじゃないかと思う。(適用するべきは手法ではなく着眼点・問題意識・考え方だ、と言ったほうが伝わるかな。問題意識が似ていれば手法も似てくるので、それは当然だが、問題意識が共通していないのに手法だけ真似するのは変、ということ)

午後は国語研で科研費のプロジェクトの打ち合わせ。といっても分担者でもなんでもないので、単に近かったのでオブザーバーとして聞きに行っただけである。K 宮さん、おっしゃっていることは至極全うであり、激しく同意するのであるが、言い方がちょっと直接的すぎてハラハラする。自分が調整型 (育成型?) だから思うのかもしれないけど……。ただ、ちゃんと使えるものにしていきたい、というビジョンはみんな共通しているので、自分も (せっかく物理的にも近くにいるし) 協力できる範囲で協力できたらなと思うのである。

夕方は大学に戻ってくる。外部の大学院を受ける人の相談 (?) に乗ったりする。自分自身、人文系から大学院で情報系に来たので、いろいろと知識が抜けているところがあるのだが、教えると学ぶというのは本当にその通りで、来年以降担当科目を増やすたびに勉強になるのだろうなと強く思う。

また、前も書いたかもしれないが、自分はうちの研究室から外部の大学院を受けることには賛成 (特に博士に進学する可能性が高い人) で、外部からうちの研究室を受けるのも大歓迎である。もちろん内部で研究室配属されてそのまま進学してくれるのも嬉しいのだけど、うちは修士の学生に関しては相当手厚いのでお勧めできる一方、博士後期課程の学生を受け入れる体制が整っているとは言い難いので……。

あと、いろんな環境を見ることも大事だと思うので、修士にそのまま進学する人に関しては、1カ月以上どこかにインターンシップに行くことをお勧めしている (研究や開発に関するアルバイトでもよいのだけど、首都大から通える・首都大でできる研究開発関係のアルバイトは限られているので)。大学院にしても、インターンシップにしても、「迷うなら、受けてみたら」と言うことにしている。全部合格通知をもらってからどこに行くか考えればいいし、「どうせ自分が応募しても落とされる」と挑戦しないよりは、選ぶのは自分ではなく先方なので、胸を借りるつもりで挑戦してみるとよいと思うのである (そういう意味では、落ちることを考えるより、複数受かってもどこか1カ所にしか行けないので、どこに行かないかを考えるほうが選択としては重要である)。

夜はひたすら「情報理論」の採点。40人ちょい受講生がいたのだが、期末試験は表裏8ページ出していたので、採点するだけで一苦労なのである。来年は出題方法についてもう少し考えよう……。でもみんなよくできているなぁ。「優は何%まで」というような注意書きがどこにもなかったので、素点のままつけてみる (1回目の小テストは出題傾向が分からず困った人もいたようなので、シラバスで書かれている範囲で小テスト内の点数のウェイトだけ変更)。問題を作っておいてなんだが、みなさんすごく優秀である (自分の大学院時代の成績は、最終的に最優秀学生に選んでいただいたものの、BやCがかなり多かった)。

結局午前2時半までかかったが、これでお盆前のお仕事は全部完了。これから1週間はのんびり過ごすぞ〜。