これ以上よい環境はないと思うからこそ、外に出るべき

朝から雨でテンションが下がる。年末年始の買い出しに行こうかと思っていたのだが、家にあるもので適当に済ませる。

28日から29日にかけて、あまりよく眠れていなかったので、コンコンと眠る。いくらでも眠れそう……。

自分は手を動かすのが好きなのか、新しいことを見つけるのが好きなのか?修士を卒業する前に考えるというエントリを見て、情報系でも同じだな、と思う。もっと言うと、情報系だと「修士1年の12月が終わるまでに考える」が適切である。というのも、年明けはもう就職活動が本格化してしまうので、本気で就職するなら心を決めないといけないし、本気で博士に行くならM1の冬から春にかけては就職活動ではなく研究に本腰を入れて実験をしないと、そこから先が大変だからである (たとえば学振の申請書を書くにしても、査読なし国内研究会・全国大会ですら発表0だと、工学だと箸にも棒にもかからない)。

特に自然言語処理だと、前も料理にたとえたことがあるが、包丁 (=既存のツール) と食材 (=辞書やコーパス) で料理すればいいのはせいぜい修士くらいまでで、そこから先は包丁を作る鍛冶屋、あるいは食材を作る農家・漁師・etc になることが求められていくわけで、既存のものを組み合わせて消費していればいい、というふうにはいかなくなっていくのだ。小説を読む人から小説を書く人になる、というのと同じで、いくら読むのが好き、あるいは得意だと言っても、それで書けるかというと別の話である。

確かにある程度読まないと書けないというのも真実だが (自分は学生に「とりあえず査読付き国際会議の論文を100本読め」と言っているが……)、結局のところ研究論文を書くためにはトートロジーのようだが書き始めるしかないので、学生生活のできるだけ早いうちに論文を書く経験を積んだ方がいいんじゃないかな。

NAISTの図書館で借りてきた「ご冗談でしょう、ファインマンさん (上)」を読んだ。

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

先日読み終えた「困ります、ファインマンさん」と同様、ノーベル物理学賞を受賞した物理学者ファインマンのエピソード集。今回はマンハッタン計画で原爆作成に関わった話が中心だが、アメリカの大学生生活、大学院生生活、研究所生活を知ることができるのが興味深い。

個人的に感心したのは、ファインマンが学部生を過ごしたMITに惚れ込んでいて、これ以上の環境はないと思っていて当然大学院もMITに進学しようと教授に相談したところ、教授は逆に「きみはMITには進学させない。MIT以上の環境がない、と思うならなおさら、きみは外の世界を見てこなければならない」と外に出そうとして、ファインマンプリンストンに進学することにした、というエピソード。

アメリカではだいたい学部と大学院は別の場所に進学するとは聞いていたが、それが戦前から続く伝統で、実際教員からしてそういう考え方をしている、ということがすばらしいと思う。こういう話しをすると当然「学部と大学院で変わってしまうと腰を落ち着けて研究できない云々」と反対意見を唱える人がいるのだが、修士で就職する人はともかく、博士後期課程に進学する人に関しては、十分な時間があると思うし、日本でもやっぱり所属組織を変わったほうがいいんじゃないかと思うのである。(もちろん、海外の大学院に進学するのを含めて)

教員に関しても恐らく同様で、きっと所属する研究室でそのままスタッフになるのは、確かに学生時代と連続した研究がすぐスタートできるという利点はあるし、「これ以上の環境はありえない」と思うくらいいい環境なら、それをみすみす手放すのはもったいないのかもしれないが、そこから先に続く研究者人生を考えると、複数の組織を知っていいところと悪いところを相対的に見ることができるようになる、という利点が欠点を上回るのではなかろうか。

とは言っても、学生の身分でそういうリスクの高い選択をするのは難しいだろうし、教授の側から外に出る選択肢を (嫌がらせではなく、本人のことを考えるからこそ、むしろ優秀であればあるほど) 提示する、というのは英断であるように思う。

あと、マンハッタン計画が終了してコーネル大学で教員としてフルタイムで教育するようになって、研究が思うように進まなくなった、という話が書いてあって、そのころは燃え尽き症候群でできなくなったと思っていたが、いま考えると講義を初めて準備したり試験を作って採点したりするのはものすごく負荷が高く、単に時間がなくなっただけだった、という話が笑えた。

たぶんみんな同じだと思うが、学生から教員になる瞬間、あるいは研究メインから教育あるいは運営 (いわゆる雑用?) もするようになる瞬間、それぞれ予想以上に時間を取られるものである。

そういうときでも、遊び心を忘れず、自分のやりたいことをやれる自分でいたい。