Twitter は議論には向いていない

朝普通に起きて論文の添削。MacBook Air 11インチじゃつらい……(元々11インチは出張用)  一昨日新しいモデルも出たし、13インチのほうが日常使いには楽なのかな〜。SSD も64GBだとアプリケーションを一通り入れて MacPorts を展開して自分の論文・ソフトウェアリポジトリをチェックアウトするだけで90%使用してしまうしな〜。

@knu さんに iPad があるなら Air Display ($10) と DisplayPad ($3) はどうですかと教えてもらう。iPadMac の外付けディスプレイとして使うソフトのようで、ネットワーク越しに画面を飛ばすので少しカクカクするとのことだが、確かに家にいるときは iPad もあるので、Air Dislay のほうを買ってみた。

これはいいかも! MacBook Air のディスプレイが1.7倍くらいになった (笑) 確かに画面が激しく変わるとカクカクするのだが、端末から入力したりマウスのポインタが動く程度ならローカルの画面と全く変わらないし、Twitter クライアントを常時表示しておくくらいなら全然問題ない。

@syou6162 さんが昨日の日記に関して補足をしにきてくれる。ありがたい。そもそもテキストだけでのやりとりは誤解を生みがちだが、Twitter 上でのやりとりだとさらに行き違いが発生しやすいので、直接会って話せる場合は直接会うに越したことはない。Twitter は議論のツールとしては向いていない部類に入るだろう。@zzzelch さんと @taku910文節と係り受け解析に関する議論もハラハラしながら見ていたが、なんとか収束してきたようでよかった。

自分の専門以外のことは間違うかもしれないから書きたくない、という人もいるのだろうが、書いて周りの人が間違いを指摘してくれて勉強になる、ということがよくあるので、自分はこうやって書き続けるのであろう。「あの人あんなこと間違えているの?」と後ろ指さされるのでは、と思う人もいるだろうが、少なくとも自分は失うものはまだまだ別にないし……。それよりは間違えた知識のままずっといるほうが嫌だし、こうやって後輩が教えてくれる環境というのは本当にすばらしいものだと思うのである。

松本研のようなオープンで、知的好奇心の強い人が揃うところでないと、やっぱり知識は「上から下」みたいになってしまいがちになるのでは、と危惧するが、自分の理想は「周りの人(先生、先輩、同期・同僚、後輩・教え子)が自分にいろいろと教えてくれる環境」なので、特に学生の方々は「最近こんな研究がありましたよ」とか「いま流行っているプログラミング言語はこんなふうにすごいんですよ」とか、自分の知らないことを教えていただきたいものである。

午後ちょっと嬉しいニュース。研究というのは「論文誌」と呼ばれるそれぞれの研究分野の学会が発行している雑誌に研究をまとめた論文が掲載されたら「上がり」なのだが、論文誌も単に来た論文を全部載せるわけではなく、peer-review (ピア・リビュー、同業者による査読) といって、同じ分野のしかも類似したテーマで研究している研究者による査読があり、これに通らないと掲載されないのである。典型的には投稿した論文で「関連研究」として挙げられている論文を書いた人にお願いする、みたいな感じで、その論文誌の質を保っているのはこの査読システムなのである。

この論文誌に論文を通すのは大変で、自分も修士のときの研究を論文の形にまとめて論文誌に投稿したのが修士論文を書いてから3年後で、えらく時間がかかった。時間がかかるとデータの細かいところとかプログラムの詳細は忘れていたりするのだが、査読のコメントで「採録の条件として、以下の事項について再実験した結果も載せてください」と言われると、再実験しなくてよい強い理由がないかぎり再実験せざるをえず、最後に実験してから時間が経てば経つほど投稿しにくくなり、投稿を延ばすほどさらに詳細を忘れていく、という悪循環にはまるのである。(「鉄は熱いうちに打て」と言うが、論文も同様で、一区切り結果が揃ってきたら、速やかにまとめて投稿したほうがいい。そうでないと、二度と日の目を見ることはない)

分野によっては「データを収集してからX年以内の論文でないと投稿は受け付けない」というルールのある論文誌があったりするようで、データの新鮮さという意味もあるのだろうが、やはり研究者自身が細部まで記憶しているかどうか、という賞味期限のようなものはあるのかと思う。

松本研 M1 の @__yuyay__ くんも論文採録されたそう (松本研に来てからの話ではなく、学部時代の研究)で、すばらしい。所属が変わってもなかなか追試・再試できなくなるので、やれることはやれるうちにやっておくのがよいなと思った。

昼ご飯も食べずひたすら論文に赤を入れたりなんだり。国内の研究会あるいは全国大会の発表向けに日本語版の原稿を作っておくの、確かに最初から査読付きの国際会議に通すことを考えると二度手間ではあるが、少なくとも全体を埋めることのできる土台を作っておくことができるので、最初は練習だと思って手順を踏んでおくのもよいかなと感じる (1回やってみて、「これなら直接英語書くのでよい」と思ったらそうすればいい)。特に今年は修士論文を書く人が多いので、国際会議で発表するしないに関わらず、外部で一度発表してそこで論文の書き方を身につけてもらったほうがいいかなと……。