週90時間働くというのはどういうことか

@ninjinkun の書評によって大変興味を持った「レボリューション・イン・ザ・バレー」を読む。

レボリューション・イン・ザ・バレー ―開発者が語るMacintosh誕生の舞台裏

レボリューション・イン・ザ・バレー ―開発者が語るMacintosh誕生の舞台裏

一言で言うと、期待したほどおもしろくなかった。もっとも、それはこの本がつまらないという意味ではなく、@ninjinkun の書評が出色の出来であったからであって、むしろこの本とは別に @ninjinkun のブログエントリーを読むとよいと思う。

著者の Andy Hertzfeld は現在 Google で働くエンジニアのようだが、1984年に Apple を辞めて2005年に Google に入るまでに Linux (というか GNOME) で使われている Nautilus というファイルマネージャの開発に関わったりしてたそうで、知らないところでお世話になっている人も多いのではなかろうか。

自分は Mac を使い始めたのも OS X 以降(もっと具体的には 10.3 以降)だし、開発時の話も Steve Jobs に関係する新書しか読んだことがなかったので、それなりに「へえ」と思うこともあったが、やっぱり際立つのは Steve Jobs の強引な進め方と、個人のエンジニアの際立った、献身的な開発かなぁ。Andy と Steve は個人的にはとても仲が良かったようで、その点他の本は「Steve Jobs は異常」というようなスタンスで書かれていたりするのと一線を画しているのだが、逆にそういう親密な間柄ですらこう書かなければならないのか、と思うような進め方・執念というのが恐ろしい。

Apple で働いていたときも、いろんな人から「Appleアメリカの会社にしてはハードワークで知られているんだけど、大丈夫かい?」と何度も聞かれたのだが、普通にみんな10-11時に出社するし、7時以降まで残っている人は2割くらいだし、え、なんで? と思っていたのだが、90 Hours A Week And Loving It!という記事を見て納得(上記の本にはこれの日本語訳が入っている)。Apple のエンジニアは週90時間労働も厭わないし、それを誇りにすら思っている、と。トレーナーまで作るとはすごいものだ(笑) 

週90時間、平日勤務だけで働こうと思ったら1日18時間働かなければならない。残りの時間は6時間である。長時間労働で仕事しても、とは思うが、自分はこういう一時期に集中して一気にものができあがっていく楽しさも知っているので、なんとも言えない。もちろん、こういう体制は20年30年続けられるものではないので、そのうちペースダウンするのだろう(当時の Apple はほとんどが20代のエンジニアだったからこういう働き方ができた)。

自分も30代だし、身の丈に合った、sustainable な働き方を考えないといけないな、と思うのだが、助教の研究室滞在時間は1日16時間でも書いたように、あと2年間は90 hours a week and loving it! だと思う(汗) すぐ論文がばりばり書けそう、という感じではないのだが、いまの生活をたいそう気に入っている。50歳になって身体に出てこないといいけど……。

で、紹介したいのはこの本というよりは @ninjinkun の書評のほうで、日記のタイトルにもなっている、「ものづくりのサイクルに入り込んでしまった人たち」というセクションで書かれている。

ソフトウェアに執着する時間が自分の生活時間にまで及んでくることがあります。自分の生活の優先順位が大きく変更され、全く誉められたことではないのですが、服装が適当になったり、人付き合いを避けてしまったりします。そんなとき、ふと昔の知人などに会うと全然話が通じなかったりして、なんだか違う世界にいるような気がします。[...] Macintoshの開発チームはそれを持続させることができました。しかしそんな状態は、恐らくそれ以上長くは続けられない。彼らの一部はMacintoshが出荷されたあと、肥大化するチームに嫌気がさしてAppleを去っていきます。

NAIST にいて研究が乗ってくると、よくこういう感じになる。女子学生でもだんだん化粧しなくなるのだが(ちなみに自分は化粧に関してしないとだめとか逆にしたら嫌だとかいう感情はない)、これは東京の大学ではほとんどありえないだろう。でも、逆に言うと、それくらい一心不乱に物事に取り組み、昔からの友人と話が通じなくなるくらい没頭する、そういう期間(機関)として NAIST は貴重なのだと思う。田舎にあると言えるほど田舎ではなくなってきてしまったのが残念ではあるが、修士の2年間ならこういう生活にも耐えられる。NAIST は今年は希望者が多かったせいか、今日の土曜日まで入試をやっているのだが、こういうストイックな環境で2年修行したい人は向いているだろう。

あと、自分も「肥大化するチームに嫌気がさして」という気持ち、分かるなぁー。人間人それぞれ居心地のよいサイズのコミュニティがあって、自分は全体で200-300人くらいのサイズのコミュニティ(人それぞれ顔が分かるくらいのサイズ)が居心地よい。まあ、大きな企業では、だいたい組織がそれくらいの人数に収まるように分割しているのだろうから、大は小を兼ねるのかもしれないが……。

彼らは好むと好まざるに関わらず、そんなサイクルに組み込まれてしまったのですが、その姿は外野の僕らからは輝いて見えます。本書に描写されている、ROMのフリーズ期間が迫ってから足りない機能があることが判明して、それを実装するために必死で働くエンジニアの姿に僕は素直に憧れを抱きます。確かに彼らの人生の一部はMacに吸い取られてしまっているのですが、こんな風に働いてみたい、こんな仕事に貢献したいと思ってしまう自分がいます。平穏に働いてそこそこの給料を貰うのか、何かを犠牲にしても新しいものを生み出すことに参加するのか。自分も後者を選びたい。しかしそこには「本当にそれでいいの?」という疑問がつきまとうでしょう。ものづくりのサイクルに入り込むとは、そういうことだと思います。

否定も賛同もしづらいところだが、心情的には自分も同感だなあー 自分は「平穏に働くならそこそこじゃなくたくさん給料もらいたい」「新しいものを生み出したいが何かを犠牲にはしたくない」と思ってしまうが (笑) 最後の締めくくり方もかっこいい。

そのような偉大な達成を行ったMacintosh開発チームに賞賛の念を送ると同時に「自分もそこに居たかった」と思わずにはいられません。けれど、それは僕が今自分のいる場所で見いだしていくべきものだと思っています。

そう、それは自分がいる場所でこそ見いださないといけないな、と思う。