bidding 国際会議の風物詩

骨折から回復するまで(下の子を抱っこ紐で抱っこできるようになるまで)土曜保育をお願いすることにしたので、今日は上の子を保育園に連れていく。もう少しいるかな?と思ったら、娘を入れて子どもは2人だけだったので、少し寂しい感じだったが、お昼に保育園の大掃除のために他の子も来たので、少し賑やかになったようである。来週の土曜保育は5-6人いるそうなので、年の近い子がいてくれるかな(人数が少ないなら少ないで、やりたい遊びをやらせてくれるので、結果的には楽しんでいるようなのだけど)。

午前中は妻が仕事で自分が下の子の面倒を見ていたが、しばらく寝てくれたので、国際会議の査読をしたりする。この国際会議、査読するための論文の bidding(読みたい論文、読んでもいい論文の投票)がなかったのだが、割り当たった論文は割と適切な論文が当たっていて、これはこれで悪くない。もっとも、bidding のフェーズでその分野に投稿された論文のタイトルとアブストラクト一覧を眺めるのが、トピックの流行を知るには大きいので、bidding フェーズがないのは少し残念だけど。

自分のように人生設計上あまり物理的に国際会議に参加できず、かといって Google や Microsoft のように社内で世界中から集まってくる情報が来たりするような状況でもないと、国際会議の査読をしたり bidding をしたりするのはトレンドを知る一つの方法なのだが、国際会議の査読がジャーナルスタイルになるとすると、査読者はもちろんのこと、action editor に相当する人も全体としてどういう投稿が来ているのか知ることがなくなるので、多少仕事の仕方に影響があるように思う。流行に左右されないような独創的な研究が評価されるようになる、という面もあると予想しているが、全体としてはより Rich gets richer. になるのではないかなあ。

あと、どうも研究に対する流行の感覚が研究室の学生たちと自分とで少しずれているのも、この辺りに違いがあるような気がしていて、自分は世の中に出る前の研究ネタや世の中でどういうのが盛んに研究されているのかを査読で見ることができるが(見てしまったそのものは、取り組むことができないが)、学生たちはそうではないので、そこで盛り上がり感に1年くらいタイムラグがあるのかもしれない。NAIST にいたときも松本先生が少し先見の明があるようなことをポツリポツリと呟いていて、後から「なるほど」と思うことがあったりしたのだが、今考えると(あちこち国際会議に参加したり、博士論文の審査で海外に呼ばれたりするのもあるだろうが)こうやってちらほら情報を得ていたのかもな、と思ったりする。

と思いつつ、他の国際会議2つの bidding も先週から今週にかけてしていたが、分野によってはほとんど興味のない論文がたくさんあったりする。自分の興味が学生のころと現在とでだいぶ違うせいだと思うのだが、世の中の流行を追い切れていないためかもしれず、なんとも言えない。流行を追う必要は必ずしもないのだが、感性は時々更新しないと感覚が古くなっていく(老害になっていく)のは気をつけたいと思っているので。自分はインターンシップに行って所属する組織を時々変えたり、それに伴って一緒に仕事をする人が変わることで新しいことを学んでいたのだが、最近はそれができなくなって久しい(教員になってから10年)ので、そろそろやり方を変えないといけないと考えている。

午後は通院。喉が痛いのを見てもらったら、喉は赤くなっているがまだ扁桃腺までは来ていない、とのこと。これ以上悪化しないように気をつけないと。