キャリアチェンジは今までのキャリアを捨てることではないというエントリに考えさせられたので紹介。
日本で、ごく普通の学生生活を過ごし、ごく普通の会社員になって
自分の生きがいを見失っているとしよう。今までの人生をリセットして
留学すると自分の生き甲斐が見つかるだろうか?ごく普通の留学生と
なって宿題に明け暮れ、自分の生き甲斐を再び見失うだけではだろうか。
例えばあなたが、プログラマーとして下請け会社で典型的なIT土方
として昼夜を問わず働いているとしよう。もうコードなど見たくもない。
そもそも、いくらでも替えがきく仕事で自分がやる必要なんてない。
徹夜でデバッグなんてするくらいなら、本当の土方になって土手に
サンドバッグでも積んでいる方がまだましだと思えてくる。
どこか遠くへ行きたい。海外なんてどうだろう?
しかしそんなあなたが、人生をリセットのための留学先は、
またもやコードを見ながらデバッグを続けなければいけない
コンピューター・サイエンス専攻でなければならない。
そして、卒業後は運良く日本企業の業務を知っていることが
どこかの会社の目に止まり、シリコンバレーで毎日定時に
帰れる仕事に高待遇で就けるかも知れない。
あなたは、もはやアイデンティティクライシスには悩まない。
なるほど。別に海外でなくても転職であっても(社会人)博士になることであっても同じ話だなぁ。キャリアを大幅に変えられるのって、医者や弁護士のように、資格によって守られている職種くらいじゃなかろうか。最近は仕事を辞めて看護学校に入る社会人(特に男性)もけっこういるらしい。元々そういう仕事がしたかった、というのもあるだろうが、それまでのキャリアを捨てても耐えられる待遇、というのもあるのだろう(看護師もたいがいきつい仕事なのだが、世の中それより待遇の悪い仕事もたくさんあるので……)。
自分も中学生・高校生のころ、祖父が母に対して「(長男は)大学なんて行かさんとはよ働かせ」と言っていたのを何回か聞いた記憶があるのだが、次男(=自分)以降4男まではそういうことを言われなかったので、普通に大学に行っている(長男に関しては、紆余曲折はあったが、結局働きながら夜間の大学に通った。学費も自分で払っていたので、すごいと思う。自分は大学3年になって奨学金をもらい、アルバイトを本格的に始めるまでは、親に依存していた)。NAIST は地方から来ている学生も多いので、いろんな人の話を聞くと、やはり周囲に大学に行った人がいないと、大学に行くのは無駄だから働け、と言われるものらしい(周囲に大学院に行った人がいないと大学院に行くのは無駄だと思うのと同じかも?)。我が家は父が大学に行っていたので、大学進学に寛容であるという点では恵まれていたのであろう。
あと、大学に行くのは無駄だから働く、といって働き出した人たちが、30近くなって、仕事もずっときついし待遇は悪いし、この仕事を続けることに希望も持てない、とキャリアチェンジしようと思っても、どうも難しいようである。「今さら大学なんて恥ずかしくて行けない」と思っていても、通っている間はしんどいとは思うが、行ったほうが後々楽ないんじゃないかなぁ……(なんとなればまだ10年前後しか働いていないわけで、定年まで30年ある)。
その他にも海外を目指す人は英文科だけは避けるべきには
「積分記号がミミズより気持ち悪い」人とか、
そもそも「」内の意味が分からない人でも、
何とか頑張って、まずは理工系を考えるべきだ。
[...]
もっともキャリアに結びつけにくい分野の一つが英文学専攻だろう。
確かに、英語学・英文学専攻からアメリカに来ている人はいるが、
それがキャリアに結びついたという話を今のところ聞いたことがない。
機械いじりが好きだから機械学科に進むのは良い選択だろう。
数学が好きだから、数学科に進むのも悪くはない。
海外が好きだから、英文科に進むのは最悪の選択だ。
という話が書いてあったり、ふむふむと思いながら読んでいる。あと、シリーズものであるが、
- 社会人の大学院留学の機会費用とリスク1(機会費用)
- 社会人の大学院留学の機会費用とリスク2(日本での雇用リスク)
- 社会人の大学院留学の機会費用とリスク3(適応リスク)
- 社会人の大学院留学の機会費用とリスク4(希望的観測バイアス)
- 社会人の大学院留学の機会費用とリスク5(セーフティーネット)
- 社会人の大学院留学の機会費用とリスク6(複線的なキャリアパス)
あたりも読み応えがある。