科学技術行政の透明化へ向けて

先週から第三回行政刷新会議(通称:事業仕分け)第三会場で行われた科学技術関連の決議に関して、科研費の削減やスーパーコンピュータの研究プロジェクトの凍結、若手研究者への支援の見直しなど、いろいろな反応があった。網羅的な情報は#shiwake3 まとめ Wiki を見てもらうこととして、自分が「これは冷静な意見だ」と思ったのを二つ紹介。

ひとつは id:kenjiito さんのいわゆる「事業仕分け」について(科学技術人材育成関係を中心に)について。今回の決定は格好の科学技術史的な題材なわけだが、専門の人が(民主党になったことに関する意見は見ても、こういう具体的な政策の方向性に対する立ち位置や)なにか意見を表明するのを見たことがなかったので、科学技術史専門の人からの意見を知ることができてよかった(単に知らないだけかもしれないが)。

ふたつ目は「科学と生活のイーハトーヴ」から科学技術関連事業の仕分けについて。こちらは元々ご夫婦で研究職をしていた方のブログで、昔のエントリも参考になる。

さて、自分も今回のいわゆる「仕分け」対象は大きく分けて2つあり、(A)先端研究と(B)若手研究育成両方を削減する動きが出たと見ている。そこで、前者は問題ではないが、後者は問題だと思う。

先端研究での研究費の重複は、複数の資金源がないと安定した研究ができないのは当然(個人でもポートフォリオ組んでリスクは分散するのと同じ)だし、重複すること自体を問題視するのは間違っていると思う。ただし、富める研究室がますます富み、それ以外の研究室がますます貧乏になるという話は聞くし、先日募集停止された優秀若手研究者海外派遣事業や新学術領域研究など、予算の付け方がおかしい(バラマキ)事業も多々あり、研究費をもらう側のモラルも低下していると言わざるをえない。こういうのは停止や減額もやむなし、と思う(なにかの費用を削減しないといけないことが前提なら)。

とはいえ、若手研究者に対する支援を減らす、というのはどうも納得がいかない(自分が当時者なのでバイアスはかかっているが)。自分も「なるほど」と思ったので少々引用。まず kenjiito さんのほうから。

基本的に科学技術の支援に関しては、無駄が出るのは当然であり、とくに若手支援に関しては、無駄を恐れるべきではないと思う。科学技術上のシーズを掘り当てる投資において、掘っても何も出ないところにも投資する必要がある。最初から、どこでシーズを掘り当てるかを知ることはできないからだ。


ただし、学術振興会の特別研究員に関しては、確かに予算縮減の余地はあるかもしれない。SPDとかは私にはあまり意味がないように思われるし、かなりの額の研究費が自動的についてくるのもあまり納得がいかない。ポスドク・大学院生の給与としては、科研費や、GCOE(といってもこれ自体なくなるかもしれないけれど)、あるいは上に書いたように大学から直接から支払われるのがむしろ良いのではないだろうか。これは前に文科省が概算要求に盛り込むとあったことだと思うが、専攻単位で予算を持って、大学院生に給与を支給し、その予算の範囲内で、給与つき大学院生を受け入れるシステムのほうが合理的だと思うのである。ただし、上に書いたように、研究者の支援には多様な形態と多様な基準があるほうがよいと思うので、色々な形態があるべきだと思う。


しかし、いずれにせよ、若手研究者養成に関する全体像をまず現政権が策定したうえで、どこをどう整理すべきか考えるべきであり、今回のような形でバタバタと判断を下すべきではない。


ポスドク問題については、確かに、教員の数に対してポスドクが釣り合わない分野がある以上、ポスドクの数をどこかの時点で減少させる必要がある。ポスドクまで行ってしまうと、研究者・教員以外のキャリアが、博士課程修了者以上に困難になることが想像されるからだ。だが、当面の間はむしろポスドクを増加させるしかないだろう。というのは、まず供給源である大学院生の数を減らす必要があるのだが、研究活動のレベルを低下させずにそれをするには、ポスドクを増やすしかないからである。その上で、高齢ポスドクのキャリアの問題に対する解を見つけながら、大学院教育を改革を進めて博士の就職先を拡大し、ポスドクの数を減らしつつ、徐々に大学院生の比率を元に戻していく、というようなことになるのではないかと思っている。これについてはもっとちゃんとした裏付けが必要だと思うけれど、いずれにせよ極端な方向転換は、かなり悲惨な状況を引き起こしてしまう。これについても慎重な考慮が必要だろう。

アメリカには大学院生が独自で研究をするための制度が存在しないと聞く(学生は教授の研究の手伝いをしてお給料をもらう)し、日本はなんでもかんでもアメリカの真似をしないで、自由に学生が研究できるという制度を定着させるモデルケースになっていいんじゃないかと思う。もちろん、複数の若手研究者支援制度が必要だというのも同意。

最後の段落、まずポスドクを増加させて院生を減らし、時間をかけてポスドク問題を解決しながら院生の比率を適正にする、というのは、初めて読んだ時は一瞬意表を突かれたが、考えてみるとごもっとも。どうも前も「高学歴ワーキングプア」について書いた

高学歴ワーキングプア  「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

ことがあるのだが、人文系の研究者(大学院生)と理工系の研究者(大学院生)はそもそも全然生態系が違うので、同列に「ポスドク問題」として高学歴ワーキングプアとして比較されたくない。政治レイヤーでは、かなり人文系の「高学歴ワーキングプア」問題に引きずられて議論しているように思われる。そういう意味では本書は一般に「博士号を取得しても大変」という問題を知らしめた功績は認めるが、ミスリーディングすぎるので誰かもっといい本を書いたほうがよい。

ざっくりまとめると、査定側・仕分け人側は、
「若手研究支援(若手研究者の育成、研究成果の両方)の成果は上がっているか」
「就職難が喧伝されるポスドク(博士後研究員)について、優秀な研究者のみを厳選して支援するシステムにすべきではないか」
 というような論点を挙げていた。

 裾野を広げなければトップも高くならないと考えるので、若手研究者の支援を全体として縮減することには、私は反対だ。
 
 しかし、今のままのシステムで、果たして若手研究者がキャリアを築いていけるかということについては、いくつか不明な点がある。
 
 ここで対象となっている事業のほとんどは、若手研究者がアカデミックキャリアを築いていくことを目的とした支援事業である。
 気になるのは、現行の事業で支援された研究者が皆、アカデミックの世界でずっと食べていけるようになるのかということ。おそらくそうではないだろう。

 アカデミックポストは限られている。支援される研究者が全員優秀だとしても、全員がいつか独立した研究室をもてるようになるのだろうか。
 おそらくどうしたって、あぶれる人は出てくるだろう。支援を獲得できるくらい優秀な研究者であるのに、だ。
 そういった優秀な研究者のために別のキャリアパスが提示されていない以上、網をかけておいて、ただふるいおとすだけの人材使い捨てシステムと言われてもしかたないのではないか。

「派遣切り」や契約社員の問題がこれだけ社会的に認知されているにもかかわらず、そちらの方向へアカデミアを近づけていこうとでもしているような動きはどうかと思う。自分は官僚の「天下り」はそこまで悪くないと思うのだが、大学でも同様で、研究者の人事制度がピラミッド型になっている以上、どこかで誰かは抜けないといけないわけで、ちゃんと「天下り」できるようになっていないと誰もなりたがらないのではないだろうか? (それに「天下り」と言っても全然関係ない仕事をするのではなく、それまでの経験や人脈を活かせるような関連する仕事をするならなおさら)

今回の「仕分け」、提出された方向性にさまざまな問題はあったものの、審議の様子がインターネットで中継されたり、Twitter を通してたくさんの人の意見が飛び交ったり(現在の Twitter ユーザがそういう層なのだろうが、関心も高かった)、試みとしては高く評価していい。内容には不満だが、それはちゃんと公開されたから言えること。また政権が変わったとき、元に戻らないとよいのだけど。