『容疑者xの献身』の女性心理の描写

週末だったので『容疑者xの献身』を観てくる。原作(東野圭吾)は読んでいなかったのだが、伏線もあり筋も二転三転あり、ストーリーは楽しかった。

登場する福山雅治扮する物理学者、白衣で訳分からない難しいことを言う人、というふうに描かれているのだが、世間的な物理学者、ひいては「科学者」に対する認識ってやっぱりこういう感じなのかなー、と思う(「科学者を描いてください」と言うとみんなアインシュタインみたいな科学者を描く、という話もある)。最近科学者と言ってもコンピュータで実験する人もたくさんいるし、みんながみんな白衣を着ているわけではないと思うのだが、なかなかそう言っても通じないとは思うのだけど……

あと登場する女性陣が浅はかというか、あまりなにも考えてなさそうな描かれ方をしているのが気になった(女性の心理が描けないのか、あえて描かないのかは分からないが、あえて描いていないように思える)。完全犯罪の間で揺れる男性陣の心理描写が非常に細かいのと対照的である。と思って Amazon の書評のほうを見ると、やはり他にもそう思う人もいるらしい。

トリックの大胆さ・意外さという意味ではミステリとしてとてもよくできた作品ではあるけど、直木賞を受賞するほど文学的価値のある作品かと言われたら正直疑問を感じます。東野作品はかなりたくさん読んでいますが、他の作品同様、女性の心理描写が非常に類型的でキャラクターにも魅力を感じません。これほどの「献身」を捧げる相手が魅力的に描かれていないのはある意味致命的だと思います。「白夜行」では女性心理が書けないことを逆手にとって、女性主人公の内面を全く書かないという手法で成功していましたが、この作品ではそういうわけにも行かなかったので「女性が書けない」という彼の欠点が如実に表れてしまっているのではないでしょうか。トリックが素晴らしくても人間が書けていない作品が直木賞受賞というのは東野ファンの私にも納得できないですね。

容疑者Xの献身 (文春文庫)

容疑者Xの献身 (文春文庫)

(書評にはネタバレが含まれるので注意)

映画の問題じゃなくて原作(者)の問題だったのか……。でもこれは映画の作成の段階で補ってあげるべきじゃなかったのかなぁ。自分も中学高校生くらいまでなら心理描写ができていない作品でもあまり気にしなかったと思うが、最近は心理描写が適当だと興ざめしてしまう(これは漫画や小説を読むときも同じだが)。それが気にならない人は、ストーリーは秀逸なので、楽しめると思うが……(その部分が評価されて本作で直木賞受賞につながったのであろう)

テーマ的には男の友情、特に数学者のほうが主役だと思うのだが、いろんな雑誌で福山雅治を表紙にしてブームを仕掛けたり、福山雅治柴咲コウを全面に押し出して見せる営業が偉いのだと感じる(これは映画の制作陣が偉かった)。見せ方重要ですな。