苦手なことを得意にするために

久しぶりに武蔵境まで買い物に行く。ミスドでドーナツを食べたくなったのである。ミスド田無駅前にもあるが、行きはよいよい帰りは怖い、で、片道歩くのは問題ないのだが、帰りも歩いて帰らないといけないのがしんどいので、武蔵境駅まで車で行くのが最適解なのであった。

帰宅して学会関係の仕事。週末に国際会議の投稿〆切があったので、それ関係の調整である。「休日に仕事するのは日本人だけ」と言いたいところだが、仕事をしなくちゃいけない時間(与えられた時間が非常にタイト)ががっつり週末にかかっているので、世界中の人が週末に作業しているのではないかと思う(自分に関しては、もう1人の chair の人ががんばってくれたので、3時間くらいの仕事で済んだけど)。松本先生が ACL のプログラム委員長をされたとき、3日徹夜でスケジュールを作ったとおっしゃっていたが、プログラム委員長を引き受けると(仕事の時間はもちろん、プライベートの時間を含めて)相当な時間を消耗しそうである。

夜は武蔵境のイトーヨーカドーの本屋で購入した「はみだす力」を読む。

はみだす力

はみだす力

帯に『マサチューセッツ工科大28歳日本人助教が教える「自由に生きる」ヒント』とあるが、彼女の自伝的エッセイである。作品に関しては正直よく分からない。興味ある方は彼女の作品一覧から「生理マシーン、タカシの場合。」(女性の「生理」を男性が体験できるようにするマシン)や「寿司ボーグ☆ユカリ」(仕事帰りのサラリーマンを癒す女体盛り回転寿司サイボーグが知能を発達させ、自らを殺人兵器に改造する。動画はグロいので血が嫌いな人は見ないほうがよい)や「チンボーグ」(若い女性が装着する男性器を模したデバイス)をご覧いただくかとよいかと思う。中高生のころはこんなのよくみんな喋っていた気がするし、この年になっても中高生の同窓会に行くと当時のまま変わっていない友人たちがいたりするので、懐かしいような不思議な感じ(彼女が「チンコ」とだけ連呼する「チンコの歌」というのを YouTube で公開したことで一躍有名になったそうだが、自分が中高生だったころは、学校の毎日がそんな感じだったような……)。

はっとするのは以下のくだり。

 一年目の途中で学内展示が行われる時、先生に「君の作品は展示できない」と告げられた。「作品のクオリティが低すぎて、RCA(引用者注:Royal College of Art つまり英国王立芸術学院)のレベルを落としかねない」と言われたのだ。
(中略)
 劣等生の私に、指導教官がアドバイスをくれた。
「あなたはプログラミングができるから、プログラミング系の作品を作るといい」
 仕事でプログラミングをして稼いできたのだから、得意なスキルであることは確かだ。だけど、それだけはどうしても避けたかった。それをやるんだったら、ここに来た意味がないと思った。
 フリーランスプログラマーとしてできていたことを、わざわざRCAに入ってやる理由がわからない。私の知らない型を学びに来たのだ。得意じゃないことを勉強し、やりたいことを実現する自分の表現ツールを増やすんじゃなければ、大学院をやめたほうがいい。(pp.102-103)

自分もNAISTに入学するまではプログラミングや数学に苦手意識があったし、入学しても相当苦しんだのであるが、自分の得意なことだけやっていては意味がない、情報科学を基礎から徹底的に鍛え直そうと思ったからこそ、奈良に山ごもりしに来たんだ、と自らを奮い立たせて(何度も挫けそうになりながら)乗り越えてきたのを思い出した。

結局時間は何年もかかったものの、これまでできなかったプログラムを書くことや確率モデルを通じて言語を見ることができるようになったし、意味が分からなくて泣きたくなっても、我慢して続けることが大事なのだなと思うのであった。

あと

 博士号もない若いアーティストが、エリート学者だらけのMITで助教に就任するのはかなりの異例人事。一部の学生の間で反発もあったと聞いた(>_<)。
(中略)
 一つ覚えているのは、面接したあとに「私を採用しなかったら、損をするのはMITだな」と思って日本に帰ったこと(笑)。
 とんでもない強気だと思う人もいるかもしれないけど、「神さまお願い!採用してもらえますように! MITメディアラボの一員になれるのなら、なんでもしますから!!」なんて思ったら逆効果、かえってダメになる気がしていた。
(中略)
「私なら、できる!」
 そう思って面接に臨んだから、教授たちも信じてくれたんだと思う。(pp.166-167)

というのも同感で、自分は割と面接に臨むときは同じ姿勢かもしれない。面接が終わった直後は強気でも、時間が経つと不安になり、結果が帰ってくるまで気が気でないんだけどね……。