日付変更線

我々4人兄弟は小学生-中学生のときもれなく父による個人家庭教師がついていたのだが、ついぞ自分はこの個人家庭教師が肌に合わなかった。2ヶ月間算数の計算ドリルをやらされていたのだが、これは無理だと思って日能研(という中学受験用の塾)に逃げ込んだのであった。

弟たちはある程度このシステムに適応していて、どうせ答えが合っているかどうかも父はチェックしていないし、とにかく数字が埋まっていて○×適当についていたら満足するらしいので、一番下の弟が「あー今日の分まだやっていないんだけど帰ってくるまでにやるのめんどくせー」と言っていたら、三番目の弟が「じゃあ日付変更線(数字は適当に埋めて「今日ここまでやった」という印)でも入れておけば」と言うくらいだったので、割り切ってできる人はできるんだろうなーと思ったりもする。

父のやり方が合わないと思うポイントはいくつかあって、

  • やり方を教えないでとにかくやらせる
  • やった過程は全く見ずに「成果物」だけ見る(つまりいくら試行錯誤しても答えが書いていなかったら全くやっていなかったことになる)
  • 定期的に「成果物」を確認される
  • 勉強さえしていれば他はなんでもいいという姿勢

自分は小学生のころからこういうのはダメだったなーと再認識していた。人には必勝パターンと必敗パターンとあって、「できる人」というのは物事を必勝パターンに持ち込める人で、「できない人」というのはいつも必敗パターンにはまってしまう人、もしくは自分の必勝パターンを知らない(まだ人生の中で必勝パターンを経験したことない)人のことだと思うのだが、負けパターンが分かっていたらそれを回避すればいいだけだったりする。

将棋にたとえると、必敗の局面でも最後の最後まで逆転を狙って詰むまでずるずると対局を続けるという選択肢もあるが、強くなること(もしくは将棋を楽しむこと)が目的だとすると、負けだと思ったら投了して次の対局にさっさと切り替えればいいのであって、その対局で勝つことだけが将棋をする目的ではない。プロの名人であっても百戦百勝できるわけでもないし、自らの負けを認める(=冷静に形勢を判断できるようになる)ことが強くなる第一歩なのだ。