研究

京都まで F 原に会いに行く。奈良に来たはいいものの、4月の記念祭(中高の文化祭)ではすれ違ってしまったし、年始は帰省しないので今日会いましょう、ということだった。

研究と勉強は違うから早く研究に取りかかった方がいいよ、と念を押された。そうかな。そうかもな。1年後は絶対研究に対する意見が変わっているはずだ、と予告された。むーん

京都と奈良は2時間もあれば行けるので帰るつもりだったが、泊まっていかないの? ということだったので泊まってみる。議論のスキルを初等・中等教育で身につけさせておくと科学者が育ちやすいはずだ、と言うので、それはおかしい、と反論したが、どうも夜中だったせいかなんだったせいか結論出ず。(対偶を取ってみても変だしこれを反証するにはなにを示せばいいのかも分からない)

あと英語ではきちんと議論の方法論(レトリック)が確立しているので論文を書く下地ができているが、日本ではそういう方法論が確立されていないので論文を書けない、という話もしたが、別に日本で文章を書く方法論がなかったわけではなくて、明治時代まで日本では書き言葉といえば漢文が正式だったので漢文式に文章を書く方法論(先人の古典に注釈をつけることで自分の意見を言うとか)が発達していて、明治期に書き言葉が話し言葉とかなり近づいてきたのでそういう方法論が失われてしまった(効果的にスピーチするノウハウが日本に根づいてなかった)ということではないかな。英語でもイギリスでいい文章とされるものとアメリカでいい文章とされるものと、インドでいいとされる文章は全部違うし。(科学論文でさえ!)

しかし F 原に Oxford Pocket Dictionary はどんな言葉でも語源が載っているのに日本の同じ大きさの辞書(たとえば新明解)には語源が載っていない(だから日本語より英語のほうが詳しく研究されている -- という結論には同意しないが)、ということを初めて知った。一応日本国語大辞典見ると語源の研究もされているので、Oxford Pocket Dictionary の大きさで語源を書いたものも作れるかもしれないが、思えば英語だと語源(フランス語とかラテン語とか)を知ると単語の記憶にすごく役に立つが、日本語だとそれがポルトガル語由来かオランダ語由来か、もしくは漢の時代に日本に来た語か呉や唐の時代に来たものか知っても記憶にはほとんど役に立たなさそうだからそういう辞書がないのかもな。自分が使っている Oxford Advanced Learner's Dictionary は非ネイティブ向けなので語源はそんなに詳しく載っておらず、むしろ用例がたくさん載っているので気がつかなかった。(Pocket のほうは用例は全く載っていない)

久しぶりに刺激を受けたので、いろいろやりたいことが増えた。来年はまた忙しくなりそうだ。