論文を読むべきでないときもある

朝に国際会議の原稿添削。ドライアイが半端ない。今週で終わりだと思うが、1か月連続は厳しい。

そういえば、首都大に来て複数の研究室の学生が「英論」という表現を使うのだが、違和感がある(うちの研究室の学生は使わないし、首都大以外では聞いたことがない)。論文としては査読ありか査読なしか、という区別と、発表媒体として論文誌か国際会議(ワークショップ)か、あるいはシンポジウムや研究会、全国大会か、といったような違いはあるが、書かれている言語が何語であるか、というのはあまり意味のある区別ではないので……。

どうも英語の論文を読んだり書いたりすることに特別な意識があるのかもしれないが、英語の論文を読んだり書いたりすることは当然で、英語で書かれたものでも玉石混淆なので、トップカンファレンスやトップジャーナルで発表されている論文を集中的に読んでほしいし、逆に投稿するときも C ランクの国際会議ではなくできれば A ランク、それが無理でもせめて B ランクの国際会議に投稿してほしいので、英語かどうかで閾値を設けるのではなく、クオリティで閾値を設けてほしいと思っている。

例えば、自然言語処理分野限定であるが、The top 10 NLP conferences という記事は非常によくまとまっている。どの論文を読むべきでどの論文を読むべきではないか、そしてその理由、というのが挙げられていて、納得度が高い。なぜこの論文を読むべきではないか(意味がないわけではないが、こういう理由で避けるべき、という話)、というのを真正面から書いている文章はあまりないので、とても貴重である。この記事の意見に基本的に賛成である。裏を返すと、投稿する側としてはどういうところに投稿するべきか(どういうところには、投稿しても他の人に読まれないか)、ということが分かるので、そういう意味でも参考になる。

ちなみに、和文の論文でも、しっかりと書かれた論文もあるが、そうでない論文も沢山あるので、最初は和文のものは参考程度にとどめてあまり読まない方がいい。そもそも英語で書かれていないものは論文でない、という文化の分野もあるだろうが、その場合は「英語論文」という言い方自体が意味をなさないだろう(こちらの余談参照)。

午後は近所の公園へ。もう寒いのに水飲み場で水を出して遊びたがるので、困る。最近は塀に登って歩いたりするのがブームなようで、楽しいのだろうと思うが(自分も好きだったし)、ちょっとハラハラする。平衡感覚も育ってきたなぁ。