意訳と直訳

FSNLP 勉強会でスライドを作って担当分の説明をしたのだが自分の手応えとしては微妙。ryu-i さんからは「それでは英語の勉強にならないから少なくとも用語くらいはちゃんと英語を押さえてほしい」と注文がつく。

スライドを見ていた人からは「分かりやすくてよかった」と言われたが、本を見ていた人からは「進め方が速かった」と言われる。スライドだけ見ていてよいように作る(そもそもそういうように作ったわけでもないのだけど)とだめかなあ。うーん。うーん。

担当分は今日には終わらず来週に持ち越しになったので進め方はまた考える(来週は論理生命学の課題の提出期限だし、意味談話解析勉強会も論文紹介で、SICP もあるしまた忙しくなってしまった)が、終わったあと mitsu-ko くんと yotaro-w くんと話していて引っかかったのは、直訳と意訳の関係。直訳するのは(手間として、という意味もあるかもしれないが、往々にして英語の読解が難しいから、という意味で)大変だから意訳でいいじゃん、と言う人もいるが、それは大いなる間違いで、そもそも直訳できない人が意訳はできない。

意訳というのは文の内容が完全に分かった上で、どこは枝葉末節だから訳さないでいい、ということが分かるので省略して訳したり、別の表現に言い換えてもそこで言われている内容を大きく損ねずに言い換えることができると理解しているので言い換えることができたりするのであって、よく分からないけどだいたいこういう意味ね、というのは意訳ではない。そもそも「よく分からない」部分に大事なことが書かれているかもしれないのに言い換えたりできるわけがない。もっとも、きちんと文法事項を押さえると、そこには重要なことは書かれていないことが分かるので訳さないでよい、ということもあるので、一概に全部が全部分かっていないとだめということもないのだが、それにしてもそういう構造をしているということを理解していないといけない。

つまりは意訳というのは直訳ができるというのは前提として、直訳を元に内容を要約したいとか文の構造が分かりにくいので言い換えるとかいう操作を加えるということであって、全部訳せないから訳せる部分(のうち大事そうなところ)をつなげてみた、というものではない。直訳に必要なものが英語の読解能力だとすると、意訳に必要なものは英語の読解能力プラス日本語の能力(要約力とか説明力とか日本語の語彙力)なのである。無駄にモデルチックに書くと意訳の適切さは「(元の文の分かりやすさ)x(訳者の英語力)x(訳者の日本語力)」であって、余程日本語力に自信がある人(英語は100%問題ないからさらに日本語がんばって他を圧倒したいとか、英語力には自信ないから小論文全国模試1位の日本語力でカバーとか)でもないかぎり、まず英語の部分をなんとかするのが先決ではないかと思う。

あと学術系とか技術系など分野によっては意訳より直訳のほうが好まれる(元の用語と訳した単語が1対1に対応するくらい)こともあるので、一概に意訳がいいとも言えないのが悩ましいところ。SICP 本の訳本の英語もかなりチョー訳している気がするが、日本語の文から元の英語を推測して脳内で英語の文が生成できるように訳してあるので、日本語としておかしいからだめと決めつけてしまうのも少し問題がある(といってもそういうことを読者に強いる訳は避けるべきだけど)。

なかなか難しいなあ。