手話

各地のサイトでささだあすかという名前を見かけたので、本屋に入ったら探しているのだが、なかなか見つからない。むしろ古本屋のほうが発見しやすいのかも。

ちょっと前ドラマ化されていたが、軽部潤子『君の手がささやいている』というのも読んでみた。手話を題材にしているので、もっと説教臭いのかなあと思っていたが、抑え気味に書いているのがむしろ効果的で、ぐいぐい引き込まれた。

手話というのは実は自然言語であり、日本の手話とたとえばアメリカやフランスの手話は違うらしく、さらに日本の手話でも先天的に喋れない人が使う手話と、喋れる人が中学・高校以降習う手話(ちょうど英語や第二外国語を習うがごとく)とでも違うらしくお互い通じないというようなことは言語学の知識として知っていたのだが、ちょうどこの漫画の番外編で聾学校の話が登場し、読唇術(話している唇の動きを見てなにを喋っているのか読み取る訓練)を子どもに強制して、子どもたちが自然発生的に手話を使うのを禁止している、という話が出てきて、やっぱりそうなのか、とショックを受けた。

幼児期の適切な時期に適切な環境にいないと言語習得が不可能になるらしい、というのは狼少年・少女(たとえばアマラとカマラ)の例や、もしくは近年は幼児虐待によって言語に触れていなかった子どもたちの研究で分かりつつあるのだが、聴覚障害を持つ子どもたちも同様で、読唇術は習得が難しく習得に失敗する子どももいるという話で、手話は自然言語なので、手話を自分たちが日常使っている日本語の代わりに習得したとしても日本語を習得したのと遜色なく言語能力を獲得することができるが、幼児期の言語能力を獲得できる時期にこれらの教育を受けることなく過ごすと、どうも言語をそもそもほとんど使えなくなるらしい。

そういうのは近年分かってきたことで、『君の手がささやいている』では最後まで読唇術を強制していて救いがなかったのだが、いま続きを書いたら事情は変わっているのだろうか。『君の手がささやいている』はテーマは重いが毎話毎話なにがしかの救いがあって、よかったなあ、と思うのだが、これだけちょっと引っかかった。

と思って調べてみたらどうやら続編があるらしいので、続編も見てみるかな。