論文のタイトルだけでドライアイ

昨晩と今朝で第11回最先端 NLP 勉強会 の論文投票を済ませる。これまでは参加するときはできるだけ読む側で参加することにしていたのだが、今年はちょっと読む側で参加するためのエフォートが取れなさそうだったので、聞く側だけで希望していたところ、今年は会場の定員の制限から「過去に読む側で参加したことのある人」だけが聴講オンリーで参加できるようになったらしい。ビギナーが参加しにくくなってしまったのではあるが、会の趣旨を考えると妥当なところだと思う。

しかし論文のタイトルを見ても見ても終わらないなと思ったら、ACL 2019 の採択数は去年と比べて2倍になっているようだ。先日の NLP 若手の会シンポジウムでの招待講演だったトップカンファレンスへの論文採択 に向けて の p.21 に書いてあるが、これはさすがに増えすぎではないか……(採択数を維持して採択率を減らすか、あるいは採択率を維持して採択数を増やすかの選択で、後者にせざるを得ないというのは分かるのだが)。

自分はそもそもドライアイなのでレーシックは(矯正的にも足りないが)無理だったのだが、ICL でも普通にドライアイは来るので、目を酷使するとドライアイになり、昨晩に目を皿のようにして論文タイトルを見てピックアップしていた(今朝はアブストラクトや本体を見て推薦する論文を選択した)ので、今日はドライアイ……。

今日はプール等に行こうかと思っていたが、台風が近づいているという話だったのでやめることにする。奈良旅行の疲れもあるし、家でのんびりしよう。

ヒラノ教授シリーズ、大学の話は一段落したので、「工学部ヒラノ教授の介護日誌」「工学部ヒラノ教授の終活大作戦」まで読んだ。

工学部ヒラノ教授の介護日誌

工学部ヒラノ教授の介護日誌

工学部ヒラノ教授の終活大作戦

工学部ヒラノ教授の終活大作戦

こちら、大学教員として働くとどれくらいの収入があり、定年前後はどのように過ごすか、というのが赤裸々に書かれていて、「ここまで書くか」という感じで圧倒された。というか、奥さんに対する(そこまで追い込まれた精神状態は分かるが、明らかな)DV や、親から受けた毒母体験、子どもに対する精神的虐待と葛藤まで吐露されていて、こんなことまで明らかにしていいのだろうか、と少し心配になる。まあ、これまでもモーレツに仕事をしていたと書かれていたので、そんなに仕事をしていて大丈夫なのだろうか、と思ってはいた(が、そういう時代だから仕方なかったのだろうなと思っていたのだ)けれど……

自分は妻がよく「わたしが子どものころはこんなに親に遊んでもらっていなかった」と言うくらい娘と遊んでいるが、これは意図的にそのようにしていて、自分は子どものころ(特に下の弟たちが生まれてから)あまり親が遊んでくれた記憶がないので、自分は子どもにはたくさん一緒に遊んだ記憶を残してあげよう、と思って、キャリア上の不利益や経済的なマイナスが全くないとは言わないが、それはまあ許容するとして、こうしている。どうせ大きくなったら一緒に何かをするということもどんどんなくなるのだろうし、楽しんでもらえるうちに楽しもうということである。