研究に向いているかは紙一重

火曜日なので一日進捗報告を聞く(10時半から15時半まで)。この進捗報告に適応できるかどうかが、うちの研究室で研究ができるかどうかの試金石になるのだが、割合として1割程度、適応できない人がいる。うちの研究室のスタイルに合わないというなら他の研究室に行ってもらうのがいいと思うし、自分としては来るものは拒まず去るものは追わずなので、割と B3 の研究室配属のときも、他大学からの受験生(ただし社会人ではない人)にも他研究室や他大学を広く勧めているのだが、そもそも研究室云々の話ではなく研究そのものに適応できないという場合には、問題は深刻である。

研究自体、特に人生にとって重要なものではないし、全員が全員できるようになる必要もないと思うので、これ違うなと思ったらサクッと他に転進すれば、それはそれで別の分野で花開くのではと考えている。自分自身、哲学関係の仕事をするのかと思っていて、結局7年間学部を続けた訳だが、現在の仕事にあまり関係はなかった。特に後悔もしていないし、こういう経歴の人がいるというのはよいことだと自分では思っている。

ちなみに、開発力と研究力は必ずしも相関はなく、研究ができても開発ができるとは限らないし、研究できることが特に偉いとか賢いとかいうことでもないし、頭がよければ(?)みんな研究できるかというと、そういう訳でもない(研究が見ている能力は、色んな能力のうちの極一部で、別にできてもできなくても優れているわけでも優れていないわけでもない)し、あまりうまく行っていないなら(かつ、周りからも「焦らないで、いまは実力を貯めている期間で、成果が出ていないだけだから」と言われたりしていないなら)、自分はできるはずだと信じて続ける必要もないのではないかと。適性がないなら他のことをすれば、と書くと、適性はあるのに自己評価が低く、研究を諦めてしまう人がいるので、適性がある人は周りからは「やめない方がいい」と言われることが多いと補足しておきたい。

まあ、そもそも修士論文程度であれば、適性云々のレベルの話ではなく、大学院入試をクリアできるほどの基礎学力があれば、なんとか軟着陸して修了できるので、深く悩む必要もないのだけど……(ただしそれで OK かどうかは研究室によるので、研究室のスタイルやポリシーについては入る前にちゃんと確認した方がいい。博士前期課程を2年で修了しない人が珍しくない研究室もあるし。)。博士後期課程に進学する(かつ、博士号の取得を目指す)場合は、ちゃんと自分が何をしたいのか、というのを考えた方がいいと思っている。

午後はひたすら NAACL に投稿する論文の原稿をチェック。フルペーパーだとかなり付き合うのも体力が必要だが、やはりフルペーパーの方が書いていて理解が深まる。なにかを勉強しようと思ったら、論文を書くことが一番の勉強法だと思っている。(というのが、多分インプット中心の勉強をしてきた人には、手順として合わないのかなと思ったりもするのだが)