勾配を求めてはやし意味変化

朝6時から国際会議の原稿のコメント。ゆっくりできる時間でないと、なかなかこういう集中しないとできない作業は後回しになってしまう。

午前中は出勤して NAACL 2018 読み会。2本(3本?)ともおもしろい論文だったのだが、ここでは以下を紹介(スライド)。

  • Alex Rosenfeld and Katrin Erk. Deep Neural Models of Semantic Shift. NAACL 2018.

これは意味の変化を深層ニューラルモデルで扱うという話で、これまでは時間的には離散的な変化として意味の変化を表現してきたが、それを連続的な変化としてモデル化しましょう、というストーリー。単語分散表現の変化が微分できるので、意味の変異の速さが計算できる、ということである。前半で言っていることと後半でやっていること必ずしも対応していなかったり(前半では提案手法を使えばいかにも空間的にも連続な可視化ができそうな図が載っているが、後半ではそういう実験はしていないし、実験では自分が仮定した意味の変化モデルはおかしくないというのを示しているだけで、現実的に意味の変化がどうなっているのかはモデル化していない)、数式のノーテーションがいいかげんだったり、といった難点はあるが、方向性として評価できる。

昼に保育園から電話があり、娘(4歳1ヶ月)が39度の熱を出したので、誰か迎えに来られるか、ということだったのだが、自分はこれから教授会、妻はずっと病院実習でそもそも電話に出られない、ということで、実家に電話しまくって(留守電に入れたり、父の携帯に伝言を残したり、弟に SMS を送ったりして)なんとか都合をつける。娘の通う保育園は、杓子定規のような対応ではなく、割と常識的な対応をしてくれる(少し熱が出ていても元気そうなら様子を見てくれる)のだが、どうも普段と様子が違うそうで……。

午後はずっと教授会。また拡大 SD 学部教務委員として新旧の教授会で審議事項、報告事項の説明をしたり。

夕方は社会人博士の人の進捗報告を聞く。やっぱり、隔週で定例でやるくらいがちょうどいいみたい。

夜に帰宅して娘の様子を聞いてみたら、やはりずっとぼーっとしていて、ポカリスエットしか飲んでいないようだし、そもそもほとんど寝ているらしい。最近はテレビを見ても(Amazon Prime で何度も同じ番組を再生するので)笑いどころで「ほら、ここから見て」と一緒に見て笑いを強制されるのだが、娘の笑いが弱々しすぎて、そんなにつらいなら見なくていいのでは、と心配になるくらい。明日は母も午前中は不在、自分は仕事(共同研究のミーティング)、妻も実習ということで、初めてフローレンスのお世話になることに決めて予約をしたりする(こういうときのため、3月から念のために入っていた)。どうなることやら。