決められた時間の中で立ち回る

毎年大晦日の日記は四半期の振り返りをしている。
1-3月

  • 研究室初めての修論生がいて、修士論文を添削したり言語処理学会年次大会の原稿を添削したりして、目が開かなくなる。この体制でこの規模の研究室を回すのは不可能であることを悟り、来年は別の方法にしようと決める。
  • 2月は余裕があるかと思いきや、国際会議の投稿論文の添削や査読がけっこうある。予定を組むときに国際会議関係の仕事の負荷も考えておかないといけないことを知る(この時期の投稿はトップカンファレンスなので、増えるのは嬉しいが)。
  • 3月は事前に判明していた仕事は判明していただけの負荷だったが、新しく学内の委員に任命され、大学運営の仕事の負荷が一気に高まる。この1年で大学運営の仕事時間が週4時間から11時間に増えたが、増えた時間の半分以上はこの業務である。

4-6月

  • 初めての修論生を送り出したのも束の間、新入生が入ってきて学生数22名の研究室になる。B4が5人という未知の領域に入る。大学院教務委員長など、学内の仕事の負荷がさらに高まる。
  • 専門に近い内容の授業は準備が楽であることを学ぶ。これまで受け持ってきた科目はどれも専門と近くはなかったので、授業に慣れていないことを差し引いても、準備に時間がかかったのかもしれない。
  • 毎週のように受験希望者の問い合わせがあり、危機感を覚える。最終的に24人の問い合わせがあり、外部からの入学予定は3人になったが、じっくりやりたいことを聞いたりできるのは定員の3倍くらいがせいぜいだと思った。

7-9月

  • COLING に4件フルペーパーを投稿したが、責任を持って同時にコメントできる英語論文数は2本で、誰でも彼でも投稿したいという人に投稿を許可するのは難しいと思った。もちろん、英語レベルで添削する必要がなければ、同時4件でも問題ないのだが。
  • 夏休み期間中、特にこの時間までに出勤しないといけない、というのがなかったので、保育園で毎朝30分くらい子どもと遊んでから出勤して、遊ぶ楽しさを知る。その後授業が始まっても、遊んでくれると思ってやってくるのが申し訳なかった。
  • NLP 若手の会シンポジウムに原稿を出さないのをデフォルトにしてみた。新入生はそもそも発表なしで聞きに行ってもいいな。自分自身はもう若手の会に参加しなくなって久しいが、色々と新しいことに挑戦していてすごいなと思う。

10-12月

  • M2 は頑張れば ACL long paper も出せると思うのだが、国際会議に投稿したが最後ほとんど研究が進まない人が大半になってしまい、来年に向けて傾向と対策を練る必要があると思った。国際会議に投稿できれば学位が出る、というわけではないのだが……。
  • マレーシアの国際会議に行ってきて、高等教育が当たり前という環境というのは豊かな環境なのだと知る。情報系の仕事をしていると、電気がない状況がデフォルトだったら何ができるのだろうか、と真剣に考えたりする。1年に1回くらいしか海外に行けないので、どのタイミングでどこに行くかを考えたほうがいいと思った。
  • COLING に参加したが、胃腸炎になったりなんだり、あまり楽しめず。第3回自然言語処理シンポジウムの幹事、入力メソッドワークショップの幹事でもあり、12月はなんだかんだとやることがあり、純粋に楽しむことができなくなってしまった。

娘は2歳になりたくさん話すようになって、とにかく毎日せわしないが、楽しく過ごしている。週40時間という仕事の時間で何をどのようにするか、ということを考えた1年で、仕事は極力新しく引き受けないようにしたら、だいたい収束してきた気がする。ここからは、研究の時間を増やさず質を上げる、ということをしないといけないなぁ、と年末に思ったりする。(時間を増やして質が上がるのは当然なので、時間を増やさず質を上げるのが重要)