研究をすること自体ほぼゲーム

朝の6時からメール処理。前日の午後9-10時からドラマを見ると翌朝がつらい。ほとんどの場合、録画しておいてあとで見るのだが、たまたま起きているとつい見てしまうのである(うちのテレビ、録画中はそのチャンネルしか見られないので)。

午前中は共同研究のミーティング。この日記も読んでいただいていて、「共同研究に週1.5時間、というのはうちのことですよね。ありがとうございます」とおっしゃっていただき、恐縮である。自分より学生の方がたくさん時間を使っているので、なにかのタイミングで学生も入れてミーティングできればいいのだが、自分が学生だったころの経験を呼び起こすと、進捗があるときは同席して余裕もあり、いろいろ話を聞けておもしろいのだが(特に企業の方が博士号持ちの研究者の場合)、進捗がないときは針のむしろで、先生方や先輩方に守っていただいてばかりだったので、どうするのがベストかは分からない。(自分が今は守ってあげるべき立場なので、毎回同席することになったら全力でサポートするが)

この日記、大学の職員の方も読んでくださっているばかりでなく、大学の生協の方まで読んでくださっているようで、ありがたいことである。「子どもの話ばかりになった」という声も聞いたのだが、研究の話ばかりでも大学教員の生態(?)は分からないだろうし、今までどおり好きに書くつもりである。

お昼のあとはひたすらメール処理。ようやく追い付いてきただろうか……。一度体調を崩すとかなり厳しいので、夏休みまではこのまま行きたいものである。

午後は進捗報告。論文のサーベイ、いろいろ紹介してもらうと理解が深まり、とても勉強になる。過去に取り組んだ研究を思い出したりなんだり。しかしこういうとき、過去の研究を紹介するべきかしないべきか、迷う。紹介しないで先入観を持たずに取り組んでもらう方がいいのでは、という気もする(「大学教授という仕事」という本にもそう書いてある)。ただ、松本先生はよく「昔こういう研究をしてね」と余談を話してくれるのがおもしろかったので、ついつい自分も話してしまうのだが……。その研究に自分が取り組むつもりでなければ、話としては聞いたらおもしろい、ということだろう(それがいいことなのか悪いことなのか、不明)。

あと、月曜日に原稿を提出したあと、たくさん好きなゲームをしようと思っていたのに、ゲームをするよりいろいろ研究ネタを試したくなっている自分がいた、という話を学生から聞いて、その気持ち、大変よく分かる。

自分も修士のころまではときどきゲームをしていたのだが、博士に進学してからは研究が楽しくなって、論文を読んだり実装したりするのに時間を使うようになった。ある程度自分で実装できるようになり、そこそこサーベイもしてネタがなんとなく湧いてくるようになった、というのが大きいが、世の中にインパクトを与えることのできるようなことが自分の手でできる、というワクワク感が、人生のある地点でゲームをする楽しさを上回ったのであった(ゲームをクリアするまでの40時間あったら、これ実装できるのでは?とか考えてしまうようになった)。消費する側ではなく生産する側になろう、というのが大学院に進学する前に決めたことであるが、実際生産する側になったら何かを産み出す魅力に取り憑かれてしまったのである。

とはいえ、娘が大きくなって一緒にゲームで楽しめるようになったら、一緒に遊んでみたい。今一緒に遊んでいると、他愛もないことで延々コロコロ笑って楽しそうにしているので、ゲームとかおもちゃとか、一体何なのか?という気持ちもしているが、きっとそのうち既製品がほしくなったり、みんなが行くようななんとかランドに行きたくなったりするのだろう(自分はそんなことはなかったが……)。