ロジックをはっきりさせて書きましょう

午後8時に寝かせてもらったので午前3時には調子が戻り、妻とバトンタッチして自分は授業資料作成。今日も3時間。こういうふうに病気をすることがあるので、前日まで資料を作成しない、というのはリスクが高い……(自分の場合、起きたら体調が悪かった、ということはほとんどないのが幸い)

出勤し、午前中はメール処理。合間合間に発表のタイトルおよび概要にコメントしたりする。概要一つとってみても、すんなり書ける人とそうでない人がいて、結局文章の長さが問題なのではなく、どこまで研究について理解しているか、ちゃんとサーベイしているか、ということがクリティカルかなと思う。

書いてもよくならないという場合、各論賛成総論反対というような感じで、1文1文を見ると日本語としてはおかしくないのだが、パラグラフにするとストーリーあるいはロジックが破綻していて、目次(章立て)もおかしい、というのがよくあるケース。日本の中等教育では、ロジックやストーリーより1文1文の流暢性を重視する教育をしているせいだろうか?一応大学や大学院では、アカデミックライティングでしっかり論理構成や説得の構造について学ばせるべきだと思うし、自分は学部1年生のときの必修の授業で学んだのだが、実際に手を動かさないと身につかない系のスキルでもあるし、書いて(まともな教育を受けた TA に)添削される、というやりとりをたくさんさせるべきだと思う。

昼からワークショップ原稿の添削。実験結果はそこまで良好ではなかったが、論文のストーリーとしては割とよい感じにまとまった。細かいところを書き忘れている気がするが……。

午後は南大沢に移動し、オートマトンと言語理論の授業。Mac のディスプレイのアダプタを忘れるという失態をしてしまい、配布資料を用いて説明。スライドを使うのと情報量はほとんど同じはずだが、寝ている人が明らかに多いのが気になる(いつもは1割くらいだが今日は2割)。出席を取るわけでなし、資料は電子的に配布しているし、出席して寝るくらいなら欠席してもいいのだが、寝る場所がないからわざわざ授業に来る、という感じなのだろうか?(あるいは、他の授業が中間試験で、勉強のため睡眠不足なのかな〜)

夕方は南大沢で NL 研(情報処理学会自然言語処理研究会)の発表に関する相談。追加実験をするのは難しいので、現状の材料で主張できることを主張するわけだが、間違ったことを(間違っていることを認識しているのに)主張するとまずいので、間違ったことを書くくらいなら、それは書かないほうがいいのでは、というお話。(当然の話だけど、こういう倫理的な話も教員だとしないといけないこともある)

あと、自分の立場が A なのか B なのか、というのをはっきりさせずに論文を書いても分かりやすい論文になることは稀なので、どちらかはっきりさせたほうがよい。立場をはっきりさせると突っ込まれるから嫌、と敬遠したいのかもしれないが、論文を書くなら自分の立場ははっきり書こう(こういうブログでは玉虫色でもいいし、自分は積極的に玉虫色にしている)。もちろんどちらの立場でもツッコミどころはあるので、立場を明らかにしたら批判にさらされるわけだが、立場を明示しないことで批判をさせない、というのは研究者の態度ではなく、むしろ批判は堂々と受けて反論すればいいだけなので、ちゃんと理論・データで武装して臨めばよい。

まあ、そういう理論武装・比較実験をするのが面倒だから論文を書かない、という人もいるだろうし、ブログでも Google+ でも好きなところで書くのにそんな実験設定を揃えた実験を要求されるわけではないし、究極的には好きにすればいい。つまり、全ての実験結果は論文として発表すべきと言いたいわけでも、論文として発表するのが偉いと言いたいわけでもないが、論文には論文のお作法があるので、論文として発表するならそれを守りましょう、ということである。