大学は仲間を見つけて自ら学ぶところ

かねてより予定していた、湯島天神へお参り。我々の学業は十分成就していたが、研究室の学生たちが無事に卒業できることを祈ってみる。

久しぶりに大学の研究室を訪れる。論文がたくさんファイリングされていたり、開きすぎてよれよれになった洋書があったり、厳かな研究室の雰囲気に、なんだか涙が出そうになった。

松本研にいたときは、机の上にうず高く論文を積み上げる人は珍しくなく、ホワイトボードで雑談から議論に発展したりすることも珍しくなかったが、ああいう環境は一朝一夕にできるものではない。外に出て初めて、得難いものであったことを痛感する。うちもまだできたばかりだが、こういう研究をしている研究室にしたいものである。

【大学初の快挙】2人の女子大生がエンジニアになって津田塾大初の未踏クリエータに選ばれるまでや[twitter:@hatone]さんのどうしてもシリコンバレーで働きたい!という記事を読むと、学生にとってきっかけや環境は大事なんだなぁ、と思わされる。特に前者、

昔からPC自体には触れることがあったものの、特にコードを書いたりする経験はなかったので本格的にプログラミングを学ぶようになったのは大学の授業からだった。はらぴーが大学の外の活動が大きなきっかけだと話す一方で、じゅんじゅんがプログラミングの面白さにはまったのは大学の授業を通してだそうで、「授業でコードを書いていて、何一つエラーが出ずに開発が進んだ時がすごく気持ちよかった」とすごく嬉しそうに語ってくれた。

最近だと、専攻に関わらずスタートアップやベンチャー企業での長期インターンを通じてプログラミングスキルを学んだりする人も増えてきたが、2人は完全に大学の授業をメインに学んできたという。上述した様に大学ではかなりプログラミング教育に力を入れていて、WordPressIllustratorなどのツールも授業で学んだそうだ。

はらぴーはアルバイトを通じてプログラミングへの関心が高まったとのことではあるが、基本的にアプリを開発したりといったアウトプットの場は大学。よく女子大と聞いてイメージするようなものとは違って(?)夜遅くまで開発のために大学に残っていることも珍しくなかったという。

という話を聞くと、大学の授業というものの役割は重大なのだと思ったりもする。もっとも、大学の授業だけで未踏に通るかというと、そんなことはない(そもそもプログラムが書けるだけで開発ができるということにはならない)と思うし、上記引用文中にあるように、授業に出席している時間以外にもかなり時間を使ったのであろうが……。

プログラミングの授業でも、「こんなことまで教えないといけないのか」と思うこともある反面、教わったことしかやらない学生も多く、それならばとあれもこれも盛り込もうとすると「難しすぎる」という苦情が来たりして、悩ましいところである。3年生の前期まではほとんどの学生が授業に出てくるので、(登録だけして最初から1回も課題を出したり小テストを受けたりしない学生を除いて)脱落者を出さない最低ラインに合わせる必要があり、さじ加減が難しい。

結局、大学でできるのはきっかけを与えることに過ぎず、あとは各人が自分でやってもらうしかないし、大学で一番大事なのは一緒にのめりこめる仲間を見つけることであって、彼女たちは学内外にそういうネットワークができたことが大きかったのだろうし、もっとうちの学生も外に出て行ってくれるといいな。