評価できないからといって何もないわけではない

週末寝不足気味だったので、よく寝た。

午前中はNTTへ。NTTの共同研究は3月末〆ではなく2月末〆なので、今日が今年度最後である。この共同研究がスタートしたのは2年前だが、一つの研究を最初から最後まで見届けるには、3年くらいかかるように思う。

昨日も中村先生がおっしゃっていたが、査読付き国際会議に論文を通すのと論文誌に通すのは意味が違って、やっぱり論文誌のほうが査読するほうも気合が入るし、書く方もできるだけ穴を潰そうと書くし、きっちり研究にケリをつけていく、という意味で、論文誌を書いたほうがよいだろう。ちなみに、世界的には情報系では論文誌のプライオリティがどんどん低下中で、ほとんどの場合はいわゆるトップカンファレンス (採択率の低い国際会議) に通すほうが、論文誌に採択論文があることより評価されることが多い。特に和文論文は日本人以外読めないので、日本の外に一歩出ると、業績としてはゼロカウントだろう。(ただし、上記のようなこともあるので、教育的な意味では和文でもいいから書いた方がいいと思うし、自分の分野以外の研究者以外に向けた情報発信手段としては、和文論文誌も意味がある)

一方、企業の研究所の人はどんどんレベルの高い査読付き国際会議に通せばいいじゃん、と (博士号を取得するとき以外は) 論文誌に最後投稿せずに終わらせがちだが、大学ではきっちり研究を積み上げることも評価されるので、結局社会人博士として博士号を取得しても、なかなか大学教員として転出しにくいのだとか。論文誌としての業績を要求することが企業の優秀な研究者が大学に還流することを妨げる障壁になっているのは賛否両論だと思うが、気長にそしてきっちり研究に取り組めるかというのは大学教員としては恐らく重要な能力なので、そういう意味で論文誌を書いているかどうか見るのは一つの評価としては妥当であろう。(それ以外に見る方法があればもっとよいだろうけど)

それに関連して、科学研究の目的はトップジャーナルに論文を載せることなのか?という記事の、「ジャーナル」を「カンファレンス」に変えればだいたい同感。

インパクトファクターの高い雑誌に掲載されることだけが研究の目標だとすると、研究とは一体何なのでしょうか?大きな研究室の有名教授のもとで「優秀なロボット」のように働いている若手研究者たちは、口を開けば「Natureに載るようにがんばります」と言うのですが、それって何を意味しているのでしょう?
先般会った欧州の研究資金配分機関の人に「日本の研究者の特徴は?」と聞いたら、即座にこういう返事が返ってきました。「日本の研究者は名前の知られた学術雑誌に論文を載せることを目的にしている。そこが欧米の研究者と違う。」

トップレベルのジャーナルに掲載されるかどうかは単なる手段に過ぎません。それよりも、長い眼で見て世界の科学技術、さらにはイノベーションにどのくらい広く深い影響が与えられるかが研究者の価値を決めます。日本の研究レベルは世界の中でもまだ高いとはいえますが、日本の研究者は国際共同研究をする機会が(例外は多々ありますが総じて)少ない。

トップレベルの国際会議、あるいは論文誌に論文を載せることは、研究を通じて世の中を変えていく手段の一つにすぎないのだが、だんだんそれが目的化しているように感じる。受験勉強に代表されるように、評価尺度があってランクがついてその中で競争するのは日本人は得意だと思うが、数値化できる評価が難しくても、自分の時間を使って世の中に一番インパクトを与えるにはどうしたらいいか、ということを考えられるといいなと思う。そういう取り組みをしている人を評価するのは (論文数で評価したりするのと比べて) 難しいと思うのだが、ちゃんと評価できる世の中にしていきたいと思うのである。

午後は1:1ミーティングと母語推定タスクのミーティングのはしご。結局方向性が正しいと確信していれば、諦めずに続けていると最終的になにかしらはアウトプットできると思うのだが、なまじ頭の回転が速いとすぐ先が見えてしまって諦めも早いので (完璧を目指してささいにことにこだわってしまうのを「国立 (大学) 病」と言うらしいが、それと類似した病である)、研究成果をコンスタントに出すには少しくらい諦めが悪いほうがいいのかもしれない。あと、過去の研究と訣別しようとする人も多いのだが、過去の研究と何らかの形でつながるようにしたほうが、後々知見が生きてくるので、わざわざ強引に関連性を作るほどではないが、毛嫌いするよりは、どちらにしても中立でいたほうが楽なんではないかな? 松本先生なんかは「これ15年前にやったんやけど」と15年前の研究をリバイバルしようとされることがよくあるくらいだし……

あとやっぱり評価というのはとても重要で、なかなか奥が深いということが最近よく分かってきた。こういうの、いまは自然言語処理の正統な研究テーマではないかもしれないが、自然言語処理が実際に使われる現場のことを考えると、今後自然言語処理の本流の一つとして取り上げるべきテーマなのではないかと思う。(この分野はエンジニアリングと研究が両方協力しないといけない場所の一つだと思うし)

母語推定タスク、けっこう色々と議論することがあるものだ。毎週のミーティングを2ヶ月繰り返せばそれなりに実装もできあがってくるし、研究的にどこが我々の強みかも分かってくるので、その強みが活かせるような研究になればいいんだけどな〜。しかしいろいろ試した割にはなかなか効果的な素性・モデルが見つからないし、むしろスプリングセミナー (1泊2日あるいは2泊3日で学部3年生相当の NAIST 受験希望者に簡単な実験をやってもらう) のテーマと言われても納得してしまいそうである……。