ベースラインとして実装してもらえるような手法を提案する

有給消化日なので午前中は優雅に家で作業。でもよくよく考えると結局どこかで研究室に行くなら通勤時間が減るわけではないので、1日全く行かなくてよいようにしないと意味がないのであった。

そういうわけで午後から博士論文の最終審査のために出勤。本来先週の木曜日のはずだったのだが、インフルエンザで延びたのであった。博士論文、個々の章を独立して読むとすごくよく書けていても、全体を通して見ると、部分の総和が全体になるわけではないことはある。

PhD は哲学博士。というエントリでも書いたように、自分が博士論文を書いていたときに言われたこと、言われたときはとにかく修了することでいっぱいいっぱいだったが、自分が博士論文を審査する側になると、なんでこういうことを言われたか分かってくる。情報系の博士論文は、博士までにやった仕事を全部くっつけてなんとか1つのストーリーにして書いて学位を取るものだと学生のころは理解していたが、実際そういうようにとにかく目の前の国際会議に論文を投稿してきて最終的な博士論文を書くにせよ、本来は最初に1つのストーリーがあった上で個々の仕事が順番に配置されるわけで、そういうように気持ちを切り替えないといけない、ということなのかなと思う。

言い換えると、数ヶ月〜1年程度のサイクルで書いていく国際会議の論文と違い、たとえば3年の研究をするならどうするか、5年の研究をするならどうするか、10年の研究をするならどうするか、という意識で最初から研究を始め、博士論文を書くとすると、自ずと個々のパーツを足したものが全体になる、というようなことはないのではなかろうか。少なくともボトムアップに一つ一つの研究ができれば (国際会議に論文をコンスタントに通す力が身に付けば) 博士号は取得できるが、博士号を取得した先に研究を続けて行くのであれば、たとえば5年かけて深く掘り下げたい問題はなにか、ということを考えて行動することが必要になってくるので、これからはそういうビジョンを持ってください、というのが博士論文を審査される・する過程で学んだことである。

もちろん頭を切り替えるのは難しいのだけど、たとえば病気の治療をするとき対症療法で一つ一つの症状を解決していくのか、それとも患者の何が問題か探って根本的な治療方針を立てるというのはそれぞれ違って、お互い相反するものではないのだが、常に対症療法だけではよくなくて (もちろん、目の前に問題があったら解ける能力がある、というのは前提だが)、本来どうするべきか、ということも考えないと、木を見て森を見ず、という状態になってしまう危険性がある。

と、偉そうなことを書いても自分もできているわけではないし、森を見るようになるとどんどん木を見る立場から離れてしまい、木を見る能力自体失っていってしまう、という問題もあるのだけど……。

夕方は共同研究の電話会議。これもまだ出先が見えないタスクであるが、新しいテーマなので、探索的にいろいろ試してみたほうがいいのかなと思っている。既存の枠組みで研究したほうが論文は書きやすいのかもしれないが、逆に書きやすいテーマだと自分の論文は書けてもそこから先に続けようという人は少ないかもしれないし、目標としては、そのタスクをやる人なら比較手法として実装する必要がある (そこまで行かなくても、実装も簡単なのでちょっと実装してベースラインとして比較してみたくなる、とか)、というくらい基礎的な手法を提案できたらいいなと思うのである。なかなか難しいかもしれないが……