ハナミズキに見る遠距離恋愛と職業選択の自由

以前から観たかったのだが、直接的には@yosshi71jp さんの日記をきっかけに、ハナミズキを見てくる。実はお盆に情熱大陸新垣結衣の特集(ハナミズキのメイキングのようなドキュメンタリー)を見てから気になっていたのである。

基本的に登場する人物に悪い人が一人もいないので、バタバタしている感じは否めないが、見終わったら割とさわやかでよい。

それよりなにより、自分は遠距離恋愛(結婚を入れると)かれこれ通算4年くらいになるのだが、特に浪人生から学部時代にかけての恋愛を思い出して号泣。男一人で見ていて泣いていて変な人だったかもしれないが……。

固定電話でやりとりしているを見て「あれ、携帯じゃないの?」と思ったりしたが、作中では2000年だったりして、確かにそうだったなぁ、と思い出す(そのあたりの時代設定が自分と同年代なのも、感情移入しやすい原因かも)。自分も電話代月1万円超えたりしていたが、時々会って少しずつすれ違っていく感じがよく分かる。逆に言うと、いま妻とあまり不安なく一緒にいられるのって、通信技術の発達が一番大きいのかもしれない(以前は Willcom で、いまは iPhone で毎月通話定額)。6秒10円の時代、1分100円、100分10,000円で、毎週末25分喋るだけで1万円になっていたのに、いまは毎日1時間喋って2台で1万円行かないし。ちなみに自分たち夫婦は毎日最低1時間電話している。週末は2時間くらい喋ることもあるが、平均すると毎日1時間10-20分くらいだと思う。たぶん自分にはこれくらい話すことが必要なんだなと思った。

しかしながら、男性側が北海道の漁師の話だったとは露知らず(というかたぶん情熱大陸でも出てきたのかもしれないが忘れていて)、たまたま最近「蟹工船

蟹工船 一九二八・三・一五 (岩波文庫)

蟹工船 一九二八・三・一五 (岩波文庫)

を読んでいたのでびっくり……。死と隣り合わせの蟹漁、稼げるとだまされて借金漬けにされて二束三文で売り飛ばされ、反抗する精力もなくなるまで酷使させられる、というのがほんの数十年前の話だというのが信じられない。蟹工船ではないが、炭坑から出てくる石炭の中に(切断された)指が混じっているのも日常茶飯事で、人のちぎれた指がそこに入っていても誰も驚かない(ように慣らされる)という話も書いてあって異常さが際立つのだが、考えてみればトヨタ季節工の悲惨さを描いた
自動車絶望工場 (講談社文庫)

自動車絶望工場 (講談社文庫)

も同じで、「人間のできないことを機械にやってもらって明るい未来を」というストーリーではなく、「機械のできないことを人間に(機械のように正確に!)やらせ、極限まで効率化しよう」というストーリーであって、いまでもまだ残っている問題であるし、主人公がこういう仕事に就くという設定は、遠距離恋愛というより男女で選択する仕事が違うことによってどうやっても一緒になれないというテーマがのしかかる。職業選択の自由なんて昔はなかったのでこのような「仕事をする場所が違うために結ばれない恋」という設定はあまりなかったのかもしれないが(それよりは「身分違いの恋」のほうがありえた)、夢を追い求めるというのと家族で落ち着いて暮らすというのは時として両立しない。

人間の価値ってなんだろう? という話は「ハーバード白熱教室」の本

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

にも出てきたが、「蟹工船」や「自動車絶望工場」を読むと、企業の論理では人間の命=コストと位置づけられているのだろうなと突きつけられて苦しい気持ちになる。ほとんどの人にはこういうのは単なる「頭の体操」なのかもしれないが、実際人命に関わる立場の人の話を聞くと、「こんな抽象的な話ではなく実際に目の前で助ける人に優先順位を自分でつけないといけないの、そういうときどうすればいいのか切実に知りたい」という話なのだが、彼ら・彼女らの声に耳を傾けない「哲学」というのはなんなのだろう? と思ったりする。傾ける人も少数ながらいることは知っているし、真摯な人は「申し訳ない、自分の学問ではその問題に対する答えを与えることはできないし、不完全であることも分かっている。きちんと検討したいと思っている」と言ってくれたりもするそうだが……

あと映画の中では早稲田大学がひとつのキーになっているのだが、自分に娘が産まれたら(気が早すぎると笑われそうだが)こういうところではなく日本だったら津田塾や ICU のような小さくてもいい教育をしているところ、アメリカだったら Swarthmore とか Amherst のような少人数のところに行ってほしいなー