ノーベル物理学賞

日本にノーベル賞が来た理由という記事が公開されていた。最初書いた人を注意して見ていなかったのだが、

物理の中で分類すれば「物性物理実験」のジャンルです(書くのも恥ずかしいですが私がかつて大学院で勉強した分野でもあります)

とか

元崩れ物理学徒である音楽家の私

とか書いてあるので「ん?」と思って見てみると、だったか……。なんかやけに書き込みがありすぎて、本人が書いているのでは? と思ったが、他の人もそう思ったようで、Wikipedia:削除依頼に長々と議論の応酬がある……

それはさておき記事の内容については自分もそうだろうなと想像していたような内容である。戸塚洋二さんの死が引き金で今回のノーベル賞決まったんだろうな、と(ノーベル賞はこういうふうにあとから取り繕ったりすることがよくある。「中立な機関が審査してい権威ある賞」とかいうふうに思われているのだろうけど……)。

小柴グループの主要な「武将」たちがつぎつぎに早世して、小柴さんが一番お悲しみ、と思います。しかし同時に「一将功成って万骨枯る」と手厳しく批判する人も少なくありません。というのも小柴研は体育会系の研究スタイルで、スケールの大きな優秀な人たちが、寸暇を惜しんで物理に24時間、文字通り献身して、ニコニコしながらウルトラハードなプロジェクトを進めていたからです。
(中略)
小柴研の、本当に素晴らしい業績は得られたけれど、志半ばで若くして亡くなっていったアシスタントたちを知る人は、彼らこそ本当に顕彰されるべきだと確信を持っていると思います。日本では、ノーベル賞などをもらってしまうと誰もが奉ってしまって、こうしたことが言われませんが、小柴さん以外にも、すさまじい体育会系のグループ研究を率いる科学者は存在しますし、そこでは「アカデミックハラスメント」のような言葉は出てこないし、「過労死」という言葉も聞かれないことになっています。でも、本当にそれでよいのか? 個人的には疑問を持っています。

こういう体育会系の研究室って典型的にあるんだと思うが、もっと自由な雰囲気のほうがいいんだけどな……