何したか記憶ないのは厄のせい?

午前中に1件、午後に3件言語処理学会年次大会の原稿にコメントを入れる。これで手持ちの年次大会の原稿は全部見終わった。そして、返事が返せていなかった論文誌の原稿にコメントを入れる。5時間仕事させてもらった。これで年末年始にやらないといけないのは、(学生に伝えている〆切を過ぎて届く原稿の添削を除けば)国際会議の査読以外片付けた。〆切がないと後回しになってしまうのはよくない……。

去年に引き続き今年の振り返り。

1-3月

このブログ的に一番大きなのははてなダイアリーからはてなブログへの移行である。それ以外はあまりよく覚えていないが、学部教務委員長の仕事が終わる解放感に浸っていた気がする。ただ、学部教務の仕事を含め、研究以外の諸々のことが重なって(8割は仕事関係、2割はプライベート関係)、かなり精神的に病んでいた。この時期の日記や Twitter を見ていた人からは、小町は首都大を辞めるのか、と思った人もいたようだが、実際は、首都大を辞める訳ではなく、育休を取ったりサバティカルを取ったり、ということで、現在の環境から距離を置くことにした訳だが……。

4-6月

津田塾大学での非常勤(合計8コマ)を今年からやらせてもらい、大学ごとにカラーやシステムが全然違うなということを痛感する。自分は小さい大学であれば小さい大学であるほど(田舎度が上がれば上がるほど)居心地がよく感じるのだな、ということも再確認する。学部教育の新しい発見があり、大学教員としての経験値が上がった。相対化することで、日野キャンパスもやはり悪くないなと思い直したりする(首都大に関する不満はほとんど南大沢キャンパスに起因することだし)。NAACL にフルペーパーが通ったりして、研究室も軌道に乗ってきた。

7-9月

3月に受けた ICL 手術(目を切開してレンズを埋め込むことで視力矯正をする技術)が一段落し、娘とプールに行ったり遊園地に行ったり保育参加したり、育児を満喫する。下の子が生まれるとしばらく上の子とは遊べないし、これからは姉妹で遊ぶことになるし。授業期間中に溜まった仕事を片付けるが、長期休暇のように時間がないと取りかかれないことがある。仕事をしていた時間をカウントすると、8月は月100時間働いていないようだった。もあったが、学生たちが単独で行ってくれていたのである。今年は国際会議に学生が通り過ぎてちょっと旅費が厳しくなってくる。

10-12月

なんといっても下の子が産まれたことが一番のニュースで、それに伴って出産支援休暇を取得したり、育児休業について調整したり(結局11月は有給消化、12-1月は在宅勤務、2月以降は様子を見て育児休業にするか在宅勤務にするか決めることに)、世界が育児中心に戻った。短期記憶が異常に低下したり、夜のミルクでは起きるのだが、そのまま起きられなくなったり(二度寝して7時に起きる)、5年ぶりの新生児で体力の低下を痛感する。論文誌も続々と採択通知が届き、今後は国際会議より論文誌重視にシフトした方がいいかな、と思い始める。

今年は色々ありすぎてほとんど記憶がないのだが、そういえば本厄だったなと気が付いて、道理で色々災難があったものだ。来年は楽しい年になるといいな。