博士号みんな違ってみんないい

午前中は研究室の全体ゼミで、新入生全員の YANS(自然言語処理の若手の会のシンポジウム)に向けた進捗報告を聞く。半数以上は特に問題なく発表できそうだが、1/3くらいはちょっとあやしい感じがするので、もう1週間様子を見ることに。うちの研究室では、だいたい基礎勉強会をちゃんとこなせているかどうかと、その後研究ができるかどうかに非常に高い強い相関関係がある(基礎勉強会が順調にできたからといって研究ができるとは限らないが、基礎勉強会の手が止まる人はその後例外なく研究の手も止まり、成果が出せない)ので、最近は基礎勉強会がどれくらいできているのかもチェックしている。

本来研究する能力と勉強する能力はそんなに関係ないと思うし、むしろあまり相関がないと思いたいのだが、うちの研究室の運営体制のせいなのか、首都大に来る学生のメンタリティに起因するのかは分からないが、なぜか相関関係があるようで、不思議である。まあ、研究ができる人なら基礎勉強会レベルの内容は全て余裕のはずなので、それはそう、ということなのかもしれないが……。(うちの研究室の基礎勉強会は、論文を読んで自分で実装する、ということのトレーニングに相当する内容なので、基礎勉強会でできないところがあるという場合、自分で論文を読めないか、読んでも自力で実装できないか、あるいはその両方であるということで、誰かに実装を手伝ってもらわないと研究ができない)

午後はオフィスアワー3件。最近は週に1回しかオフィスアワーの時間が確保できず、しかも時間帯が週によってバラバラだったりして申し訳ない。

夕方は D セミナーで社会人博士の人に進捗報告をしてもらう。業務で自然言語処理関係の仕事に従事している社会人博士の人を受け入れるのは初めてなのだが、こうやって新しい研究の話を聞けるのはありがたいし、大変勉強になる。そういえば NAIST 松本研でも NTT CS 研の社会人博士の人が研究会に参加してコメントをくれたり、社会人博士の人自体の研究の話を聞くことができたのはとても得難い経験だったように思うし、あれは自分が博士後期課程に進学して研究の道を進もうと思うのにかなり影響があったなと思い返す。

特に印象深かったのは @hidetokazawa さんで、博士論文の思い出 に書かれているが、NAIST 松本研で博士論文を書かれていた期間と自分が学生でいた期間が完全に重なっていたので、色々横で見ていて学んだものである。博士後期課程の先輩方を見ていて、こんなにすごい人でも博士号は簡単に取れるものではないのか、というのを体感した一方、博士号というものが想像もつかないものではなく、苦しんでもがきつつも取得する人もコンスタントにいたので、自分も頑張れたのだと思う(D1 で結婚し、最後の1年も含めて色々とあったけど)。

うちの研究室もいまは博士後期課程の学生が9人いるが、先輩たちを見て博士号を取るのは大変だけど挑戦したい、と思う人が出てきてくれるといいなと思っている(海外の PhD コースと違ってお給料を出したりはできないが、そのかわり特に義務も課さないので、バンバン海外にインターンシップに行って武者修行したり稼いだりしてきてほしい)。