一人でもずっとこの先生きのこる

午前中、九州の大学の学部3年生がはるばる研究室を訪ねてくる。大学院では人工知能、特に自然言語処理の研究をやりたくて、いくつか大学院を回っているらしい。

うちは博士前期課程の学生数は今年度以降少しずつ減らしていく(5-6人)予定で、外部から来る人はできれば人文・社会科学系あるいは数学・物理系のように情報系から遠い人に来てもらいたいと思っていて(うちの大学院の入試は人文・社会科学系の人でも受験した人は全員合格しているので、普通に合格可能な内容)、自然言語処理が研究したいなら他大学(首都圏なら総研大東工大や東大、首都圏でなくてもいいなら NAIST/JAIST)をお勧めし、首都大に来たいなら他研究室をお勧めしている。起業にも興味がある、など、こういう人が自然言語処理に来てくれるといいだろうなぁ、と思いつつ、バイタリティある人は NAIST の方が確実に楽しいだろう。そもそもうちの研究室では無限に学生を受け入れることができないので、他ではなくぜひともうちに(東京にある大学に来たい、というだけなら他大学を積極的に紹介している)、という人を優先的に受け入れたいのである。

お昼には学生から来ていた原稿の添削依頼を返しつつ、論文の査読をしたり。今年だけで何本国際会議の査読をしたのか分からないが、全部で20本は読んでいるし、30本くらいになるのではないか、という気がする。ただ、国際会議は国内の論文誌と違って自分たちも投稿しているので、投稿数の3倍査読をする、という方針に従うと、30本くらい読んでもまだトントンくらいなのである。

夕方は他学会(研究会)の方々に日野キャンパスに来ていただき、自然言語処理の学会(研究会、勉強会)運営に関して紹介しつつ、国内の研究会はどのようにあるべきか、というお話をディスカッション。中にいるとあまりそうは思わないが、一通りいろんな学会・研究会・シンポジウム・勉強会等の紹介をしてみると、自然言語処理は割と先進的な取り組みもしているのかなと思ったりすることもあり、いい時間であった。

しかし最近こういうことを考えないといけない元凶は書類の増加による教員の研究時間の減少、小講座制の解体(学長の権力増大などに伴う大括り化)、重厚長大な大企業の衰退と中小企業の隆興、など、所属を超えて連帯する必要性の増加(そして技術的にリモートでも参加しやすくなったり、情報共有がスムーズになったり)があり、横のつながりは重要だなと思ったりする。

あと自然言語処理関係で気になっているのは中抜けで、シニアな助教〜准教授クラスの人たちが大学を離れるケースが相次ぎ、研究という観点では致し方ないものの、10年・20年単位ではもう日本では人が育たなくなってしまうのではないか、と危惧している。まあ、英語さえできれば自学自習できる環境がどんどん整備されているので、自分でできる人が勝手にやり、そうではない人は淘汰される、という時代が到来しつつあるのかもしれない。