ユーザに向かって投げるべきボール

最近 Mixi でニュースとかインタビューとか見ることが多いのだが、「ひぐらしのなく頃に」というサウンドノベルの原作者の人のインタビューがおもしろかった。「制作会社に採用されなくてよかった」原作者・竜騎士07の挫折と下克上(後編)という記事なのだが、ゲームを作りたくて大手のゲーム会社に新卒で就職活動をしたものの、受からずに失意のまま公務員として働いていたのだが、悩んだ末にものづくり(=最初は舞台脚本から、サウンドノベルへ)を始め、そちらが軌道に乗り始めたころ、また悩みながら公務員の道を捨ててこちら一本で行くことにした、という経緯。

おそらく就活をしていたときの私は、巨大なゲーム制作会社に願書というボールを送り、採用というボールを返してほしいと思っていた。箔のつく肩書きが欲しかったんでしょう。ボールは届きませんでした。投げる方向が違っていた。ほんとうはユーザーに向かって投げるべきだったんです。ゲーム制作会社に認めてほしいという甘ったれた考えで、ボールが届くはずがない。本当にゲームを作りたいやつは願書を書く前に、自分でゲームを作っていますよ。会社に入るのは就職であって、それが即ち創作ではない。当時の私は自分のゲームを他人に作ってもらおうと、頼る気持ちがあった。例のゲーム制作会社さんには感謝しています。そんな男を採らないでくれて本当によかった!

最近学部生や新しく大学院に入ってくる人の相談を聞いていると「巨大な○○会社に願書というボールを送り、採用というボールを返してほしいと思って」いる人が多いように思うのだが、それも同じ話で「投げる方向が違っていた。ほんとうはユーザーに向かって投げるべき」なんじゃないかなと思う。本当にコード書きたい人は口を開けてなにか来るのを待つ前に自分でなにか書いている(ユーザがいないと思ったら自分が最初のユーザになればいいじゃない! そもそも自分が使っている環境に全く不満がない人はそこから動けないんじゃないかな?)と思うし。

趣味で喰おうと思わないほうがいいかもしれないな。趣味で喰わなければならない、という昭和からの妄執があるような気がするんです。その妄執から逃れている趣味のひとつが釣りです。釣りを趣味にしている人は、釣りでお金を得ようとは思わないですよね。お給料で買ったリールを持ち、長期休暇をとって島へ行き、思う存分釣りを楽しむ。もの作りの路を進むにあたって悩んでいる人は、いま持っている趣味を釣りのようなものだと思ってほしい。そうすれば、仕事をしてでも続けられる、と思えるじゃないですか。二足のわらじでもやっていけるくらいの根性がなかったら、制作の仕事はやっていけないですよ。副収入が本業の収入を上回りそうなら、そのときプロになるかどうか、考え直せばいいんだと思います。働くと嫌な仕事に耐える根性がつくから、もの作りに生きてくるんですよ(笑)。

二足のわらじをどう履けばいいのかってのも、日曜(というか土曜)プログラマー的な自分には参考になるなぁ。でも、二足のわらじでもやっていく根性がないと続かないというのも、その通りだと思う。そういう根性とバイタリティーがあるうちは、がんばれる気がする。