正解を求めるだけ、は不正解

最近朝に電車の乗り継ぎで失敗することがあり、見かけ以上に通勤時間がかかることがある。帰りに失敗していないだけましだが、貴重な仕事時間が減るのが痛い。しかし自分が高校生のころ、仕事の時間が減るのが困るなんて想像していただろうか?(むしろ減って嬉しいと思うくらいだった気がする)

大学に着くと、年に1回の教員の人事評価の面談。コース長・副コース長に、1年前に自己申告した年間目標がどれくらい達成されたか自己評価(アピール)し、それを元に査定が行われる、というものである。業績が優れてようがなんだろうが、金銭的に微々たる違いしか生まれないと思われるので、がんばっている人には大学運営の仕事を軽減するとか、授業負担を減らすとか、サバティカルをあげるとか、時間で還元できるといいと思うのだが……(自分は子育て中で仕事を減らしてもらっているので、それだけで何も言うことはない)

最近 Twitter が子育ての話題ばかりだという噂があるが、と聞かれたが、それは事実です、と補足しておいた(笑)少なくとも子どもが小さいうちは子育てが人生の中心になるし、研究に関しては実際に手を動かしている学生自身がブログなり Twitter なりで情報発信したほうがいいと思う(それで就職が決まったりすることもあるし)ので、あえて自分では書かないのであった。

午前中は進捗報告。今年度から、B4とM1の新入生を除いた人たちは、毎週進捗報告をしてもらうことにしたのだ。というのも、頻度が少ないと報告しなければならない量が増えてしまうし、定期的にやっている方がペースメーカーになる、と思うからである。とはいえ、10人もいると1.5時間では終わらないので、週2回に分けて開催しており、今日はその1回目である。

とはいえ前回の進捗報告からすると年度をまたいでしまい、前回の復習的なことがあったり、新入生には分かりづらそうなこともあったりしたので、とりあえず在学生の過去の研究に関しては一気に最初の1-2週間で説明してもらう、というようにしたほうがいいのかも、と思ったりする。あるいは進捗報告の開催を4月後半からする、という手もあるが……。来年度への検討事項である。

昼過ぎ、学部3年生の実験のテクニカルライティングの担当。学生と話していると、どうも「正しい正解があって、それを速く正確に求める」ということを気にするようで、高校まではそうだったかもしれないが、大学(院)ではそれはそこまで重要なことではなく、正解のない問題もあるし、正解を探す過程でみんなで議論していろんな意見を出したり、相手を説得したりするのが大事なので、これからはそういう訓練をしましょう、という話をする。

特に研究したいことがこれといってないのに大学院に進学する意味って何?と学部生に聞かれることがあるのだが、どうやら大学院に行かないで就職すると、かなりの人が勉強とは答えのある(教員が答えを知っている)問題の答えを正確に速く出せるようになること、と思ったままになってしまうようである。しかし、答えのない(かもしれない)問題に取り組む、という経験があるかないかが、大学院に行ったかどうかでクリティカルに違い、それこそが(建前かもしれないが)社会に出ても大学院を出た人のほうが学部卒の人より重用される所以ではないか、と考えている(企業でそういう経験ができないわけではないし、大学院に行っても全員がそういう経験をするわけでもないのだけど)。要は、答えがなければ自力で学んで答えをつけていける人になる、というわけである。

うちの研究室でも入学してから半年は山ほど勉強会をするのは、お互い相談したり教え合ったりすることを通じて、新しく登場した技術や研究を自分たちで吸収し発展させる能力を涵養するためであり、最初はお互い間違いを教えたり答えが分からないことがあっても、時間が経てばそういう問題はそのうちなくなり、一人で解決できるようになっている、と思うからである(子どもが言葉を覚えるのも、そんなに周りが訂正していないのに自然と話せるようになる、というのと似ている)。

午後は教授会。1時間ちょっとで終わってよかった。

今週はちょこちょこと時間を見繕って研究費の申請書を準備していたのだが、ちょっと最終的に時間が間に合わず、断念。今年度はまだ若干余裕があるし、この予算、冬にも申請できるので、冬に回させてもらおう。松本先生が「お金がほしいというより、お金を取ったという実績がないと、本当にほしいときに取れないので、実績だけでいいからほしい」とおっしゃっていたが、その気持ちが分かる……(いまのところうちの研究室はお金で困っていないが、国際会議や論文誌にばんばん出すようになると、旅費や掲載料を工面しなければならなくなるだろう)

夕方は研究室に行き、研究の進捗を聞いたり相談を受けたり。実装の話を聞くとやはり楽しい。新しいことに挑戦しつつある、という予感がするからだろうか?