多様な学生は教える方の力量が問われる

最近妻がお弁当を作ってくれるので、近所のスーパーまで米を買いに行く。夜帰宅が遅いときは先に下ごしらえしたおかずを詰められるように、同じ弁当箱をもう一つ購入してくれたようだ。ありがたい。

先日購入した「回避性愛着障害」を読んでみた。

前半部分は参考になるのだが、途中から文豪や学者の伝記(この人のこの行動は回避性愛着障害の典型例である、みたいな)が多数挿入され、著者の他の本と比べて内容が薄く読みにくい(その方が読みやすいと感じる人もいるだろうが)。

あと、大きく分けると発達障害は先天的な脳の機能障害で愛着障害は後天的な育児環境による障害だと言われているが、最近の研究で虐待を受けた発達障害の子どもは前頭葉が萎縮していたそうで、従来先天的だと言われていた発達障害の40%くらいは後天的なものだということである。愛着障害も十分に愛情を注がれなかった子どもが脳に影響を受け、障害を持つことを臭わせる書き方だが、本当にそうなのだろうか?(子どものころの愛着形成が重要であることに異論はないが、脳の器質の変化まで引き起こすものか、という疑問)

最近、現時点の問題ではないが、大学院で学習障害が今後問題になるかなと考えることがある。学部までだと入学試験である程度学力は揃えることができるので問題は表面化しにくいが(推薦入試があると事情はややこしくなるが)、大学院は学部入試と比較して倍率が圧倒的に低いので、基礎知識および学力ともに多様な学生が入学してくるのである。(たとえばうちの情報通信は学部入試の倍率は前期後期でそれぞれ5.9倍14.8倍、大学院入試の倍率は1.5倍)

具体的に自分の分野だと、プログラミングを学べるかどうか、数学(機械学習)を学べるかどうか、言語分析(タグ付け)ができるかどうか、といったところが入学後に学習しなければならない事項に関係する(もちろん大学院進学前からできれば御の字だが、そのような仮定はおかない)。後者2つは、数学をあまり用いないテーマにする、自分でタグ付けが必要ない(既存のデータセットがある、または自動的に生成できる)テーマにする、といった対策が取れるが、プログラミングができるようにならない(なるまでに多大な時間がかかる)、というのはほとんど回避のしようがないので致命的である。あと、タグ付けが必要ないテーマを選べばいいのにタグ付けが必要なテーマに特攻し、〆切ぎりぎりになっても手がつかず往生する、というのもよくあるパターンだったりする。

もちろん、世の中ではプログラミングなんてできなくても問題なく生きていけるし、できるようになる必要はない。ただ、情報系の大学院に来てしまうと少なくとも卒業までにプログラムが書けるようにならないと卒業できないし、プログラミングをする仕事に就きたいといった場合はプログラミングできるようにならないと就職してから困難を抱えるのである。(ゼロから学んだとしても1年経ってもあまり書けるようにならない場合、就職先としてはプログラミングしないところを選んだ方が、採用する側もされる側も幸せだと思うが……)

こればかりは本人の能力的な問題というよりは、単に特定の分野を学ぶのが他の分野より時間がかかるという個性の問題だと思うし、それを回避する道(進路)を選ぶのが最良の対策だと思うが、入ってしまってからでは回避が難しい場合、入学・入社させる前に水際で食い止めるほうがいいんだろうか。

あるいはもっと世の中が時間をかけることに寛容になってくれて、修士を3-4年で出ても問題ないとか、修士でも学部2-3年の授業を取れるようにするとか(修了に必要な単位に含められる必要はないが)、あるいは逆に学部生でも大学院の授業を取れるとか、そういう方向に進んでくれた方が、社会全体の満足度は上がると思うのだが……。