ときには答えの出ない問題を考える

連休最後の平日の休日。働いている人がいるときに休んでいるとちょっと背徳感があるのだが、今日は仕事なので週明けのための助走期間のようなものである。

午前中は秋葉原チェルシーマーケットにてcaesar_wanyaさんとご飯を食べる。料理はアメリカンな感じでよいのだが、あまり分煙されていないのが微妙なところ。開店と同時に入ったので最初は人が少ないので、実害はなかったが……。

2人で述語項構造解析と対話処理の未来について話したが、5年やそこらでどうにかなるものではない、という点で意見の一致を見る。むしろ、何十年もあとまで考えて研究している彼はすごいなと思う。自分は3年後にいまと同じ研究テーマをしているかどうかさえ、あやしい感じだが……。

昼から首都大学東京秋葉原キャンパスに移動。伝さんの科研プロジェクトに関連して ryu-i さんともどもお呼ばれしたのだが、他の会場が都合つかなかったので、急遽自分が秋葉原キャンパスの会議室を借りたのであった。東京駅からたった1駅、秋葉原駅前のダイビルの12階なので、大変便利である。NAIST東京オフィスも品川駅から1駅の田町駅前で便利だったので、これくらいアクセスがよいと嬉しいものである。

秋葉原キャンパスといえど、実は教員が常駐するわけではなく、会議室が5つあるだけで、こうやって学外の人と研究会を開いたり、オープンキャンパスを開いたりするときに使われる。会議室は今回使った2人がけの机が6個ある一番小さい部屋からその5倍くらいの大きな部屋まであり、かつ仕切りを移動して部屋をつなげることが可能なので、大人数が参加するセミナーも開けるようである。利用料は無料なので、気軽に使えるのもよい。

ミーティング自体は背景や問題の説明からなにから、いろいろざっくばらんに話すことができて興味深かった。実現したいゴールに対して調査していることがちょっと違う気がして、途中からあまり言うこともなくなってしまったのだが、せっかく収束させる方向に行くために建設的な意見を言わないといけないわけではなく、あれやこれや発散した議論をしてもよい場所だったので、もっと意見を言ってもよかったかなぁ。

13時から始まって、18時まで確保されているけど、こんなにかかるものか?と思っていたが、議論百出で気がついたらもう18時……。懇親会に場所を移動して、さらに続き。途中、[twitter:@caesar_wanya] さんが最終新幹線に乗るために離脱したタイミングで店を変え、2次会。最近2次会があるような集まりに参加した記憶がないので、なんだか新鮮であった。というか、8年間奈良にいたので、東京の集まりに出ても新幹線の時間があるので、1次会で帰らざるをえなかったせいか……。

関連して、最近読んだ「科学を語るとはどういうことか--科学者、哲学者にモノ申す」を思い出した。

この本、科学哲学者の伊勢田さんに物理学者の須藤さんが「科学哲学って、科学を哲学するという割にはここ100年の科学の成果を反映していないように見えるし、いったい何がしたいのか」ということを率直に問うているのだが、読んでいてかなり痛々しい。自分自身、学部のころは「科学史・科学哲学分科」というところにいたので、どういう背景でこうなっているのか知識はあるのだが、伊勢田さんがいかに科学哲学者の立場の代弁をしていても、全く分が悪いし、揚げ足取りのようなやり取りになっているところもあったりして、ちょっと残念な感じである (もちろん、ちゃんと対談を両者が引き受けてくれたのが勇気あることだったと思うのだが)。

結局哲学は目の前の問題に解決策を与えてくれるものではなく、そのつもりもない。それが悪いというわけではなく、単に関心が違うだけなので、お互い共存すればよいのだが、須藤さんの「国の税金をもらったりして研究をしている以上、もう少し説明責任があるのではないか」「科学を対象に哲学をするのであれば、もう少し科学について勉強 (もっと言えばコミット) してもいいのではないか」という疑問ももっともだと思うし、自分も同感である。

まさしく自分が学部までに研究しようとしていた科学哲学を離れて大学院では情報科学に専門を変えた理由がフラッシュバックするのであるが、自分の理解では、哲学者というのは責任を取らずに外野から言うことに関してのプロフェッショナルであり、その点にかけてはとても切れ味鋭いし、すごいなと思う。そういう人たちが (少数ではあるが、一定数は) 社会で求められている、とも思う。ただ、自分はもう少し責任を取る生き方をしたい、自分の予想と違う現象に遭遇したら、喜んで自分の仮説を修正するような、そういう立場で研究したい、と思うようになったのである。

いま自然言語処理、広く言えば人工知能の研究をしているが、大学教員としての役割が終わったら、(たぶんそのころには自分で実験もできなくなっているだろうし) いつかまた科学哲学・科学史の研究に戻りたいなと思う。人生まだまだ道半ばである。