電子書籍で読むと筆が進まない

これといってすることもなくだらだらと過ごす。このだらだらが大事で、もう少し若いころは「休みなんだからどこかに行かないと!」と思ってあちこち出かけようとして、肉体的・精神的にも疲労が残るだけの結果になっていた気がする。というわけでいつも通り (?) スーパー銭湯に行ったりして過ごす。

中国嫁日記

中国嫁日記 一

中国嫁日記 一

きっと書店では見かけないだろうと思って Amazon で注文してみたのだが (普段漫画は Amazon では買わないことにしているのに)、登美ヶ丘のイオンに行ったら普通に平積 (いや、正確に言うと横積み?) みされているし……。漫画部分は全部ウェブで公開されているものを読んだので、書き下ろし以外全部知っていたが、各4コマの2行コメントを一緒に読み返すとおもしろい。書き下ろし部分は奥さんと出会ってから結婚するまでの経緯が詳細に書かれているのだが、経緯を知ってちょっとびっくり。いろいろと考えさせられた。

登美ヶ丘のイオンに Sleeping Factory という寝具屋さんが新しくできていて、「じぶんまくら」というものを作ってくれるそうなので採寸を頼んでみたが、採寸が終わってからお値段を聞いてみると「26,000円です」と言われて立ち去る。寝心地は悪くないと思うが、枕に10,000円以上は出せないかなぁ。(キーボードにも10,000円以上出せないと思っていた自分も、商売道具と割り切っていまは20,000円以上するキーボードをためらいなく買うようになったが……)

上記の「中国嫁日記」で「この本を買った人はこんな本も買っています」が表示されて知ったのだが、「まんがサイエンス」の新刊が出ていた。

まんがサイエンス 12 (ノーラコミックス)

まんがサイエンス 12 (ノーラコミックス)

大学院に入る前は買って読んでいたのだが、しばらく新刊が出ていなくて、終わったのかと思っていたら、細々と続いていたようである。(日付的にここから先は読んだことがないだろうと思って9巻から先を全部買ってみたが、9巻は読んだ記憶があったので、きっと9巻までは実家にあるのだと思う) 

小学生のころ、家で「学研のおばちゃん」をやっていて、毎月学研から「○年生の学習・科学」と「ウータン」という (ニュートンやら日経サイエンスのような) 科学雑誌が送られて来ていて、ああいう読み物を読むのはけっこう好きだった (いま「まんがサイエンス」を読むとちょっとネタがくどいのだが、たぶんすでに自分がいい大人になってしまったからだろう……)。自分の子どもができても近くに興味が持てるような雑誌や本を取りそろえて置いておいてあげたいと思う。

サイエンスといえば「生物学的文明論」

生物学的文明論 (新潮新書)

生物学的文明論 (新潮新書)

を「20年ぶりの『ゾウの時間 ネズミの時間』」という宣伝文句につられて買ってみたが、期待外れだった。
ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)

高校くらいのときに「ゾウの時間 ネズミの時間」を初めて読んだときは、動物は身体の大きさこそ違えど一生涯の心拍の総数は種によらず一定である、などといった動物を横断して物事を見る視点を提供してくれてたまげたものだったが、今回の本は名前も微妙だし (文明は関係ない) 内容もいまいち。特に内容に関して言うと、サンゴ礁を取り巻く生態系の話や多様性の話は知らない人に取っては新鮮だと思うが、他の本を読んで知識のある人には焼き直し感が強い。

そして、元々この本が NHKラジオ講座由来であることは重々承知であるが、もし内容を分かりやすく読者に伝えることが使命なのであれば、イラストなり写真なりをつけてほしいと切に願う。絵を見せれば一発で分かるようなことが文章で半ページも書かれていたりして、しかもそれですら分かっている人が読めば「ああ、これはあのことを言っているのだな」と理解できると思うが、前提知識がない人が文章で聞かされても分からないんじゃないかなぁ。元のラジオ講座のテキストには恐らく画像がついていたと思うのだが、別の出版社から出すときにそれらが使えないのはともかく、新しく用意してほしかった。

最近忙しくてあまり本読んでいないことに気がついた。「福翁自伝」(福澤諭吉の自伝) を20年ぶりくらいに読み返そうと思ったのだが、青空文庫に入っていなかった。残念。最近漫画も本も iPad で読むことが増えてきたのだが、iPad で読むとなんだか感想を書く気にならない。なぜだろう。本には本なりの読み方やペースがあって、電子書籍は「便利すぎる」のかも、と思う。そういう意味では Kindle の不便さはうまく書籍の感じを出せていると思う。iPad電子書籍リーダーとしては快適すぎ、快適すぎることが一部の書籍を読む邪魔をしていると感じるのである。(論文に赤を入れるときも、PDF で入れたほうが便利なのだが、紙に印刷して書いた方が時間はかかるけど入れやすい、というのと同じかもしれない)