インターネット3部作

つい先日@shichisekiさんのところに行ってだべってきたのだが、最近漫画以外の本あまり読んでいないなーと思って

インターネット新世代 (岩波新書)

インターネット新世代 (岩波新書)

を読んでみた。話としてはマルチメディア(テレビ)、無線(携帯や wifi)、インターネットの信頼性の話だったりするので、あまり目新しくはなく、
インターネット (岩波新書)

インターネット (岩波新書)

インターネット2―次世代への扉 (岩波新書)

インターネット2―次世代への扉 (岩波新書)

を読んだときのような衝撃はない。(初代の「インターネット」を読んだのは大学に入ったあと、相談員になる前だと思うが、「インターネットは100%を目指さない、100%を保証すると大変だから、80%うまくいく保証をして、20%間違っても問題が起きないような作りにしている」というような大づかみの思想が書かれていて、もっぱらインターネットはユーザだった自分も、「なるほど、そうだったのか!」と感心したものであった(絶対に落ちないようにするのではなく、落ちても大丈夫にする、というのは Google ChromeGoogle 日本語入力の考え方と同じである)。たぶん、いま読んでもおもしろいと思う。

第6章の話(未来へ向けて)が考えさせられるところがあって、たとえば

 一九九〇年、私が東京大学から、開設されたばかりの慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスに移った直後のことです。コンピュータネットワークの研究がようやく認知され始め、私はこの分野の未来として、すべてのコンピュータが相互につながり、まるで一つのコンピュータのように人に役に立つようになる、というビジョンを持っていました。
 当時最も答えるのが難しかったのは、「なぜネットワークは速くなければならないのか」という質問でした。たとえば先輩研究者からは「磁気テープを郵送するより速いネットワークは作れるのか、必要なのか」といわれました。……二四時間以上かかる飛行機での輸送ですが、大量の磁気テープをネットワークの速度に換算すると、当時では考えられない高速なネットワークに相当します。

という問題、現在でも自然言語処理では大規模なデータをやりとりしていて、データを入れたハードディスクを郵送するほうが、ネットワーク越しに転送するより速い、ということはよくある事態である。とはいえ、「すぺてのコンピュータが相互につながり、まるで一つのコンピュータのように人に役に立つようになる」社会は、もはや絵空事ではなく、実現しつつある社会であって、ネットワークを高速化することの必要性に異議を差し挟む人はいないだろう。

このように、「なぜ○○ができなければならないか」と言われたとき、それが難しい問いであっても、自分の信念に基づいて答えを用意しておく、そういうことが重要なのではないだろうか。答えられないからそのテーマから手を引く、という選択肢もあるだろうが、ビジョンを持って行動することも大事だと思った。

今日の談話会で @tettsyun くんが「その定理の言いたいことは分かったんですがー、結局何の役に立つんですか?」と質問していて、「役に立つかどうか」というのは(こういうインターネットの研究開発を含めて)工学的には重要な問いではあるのだが、その問いは破壊力も大きく、役に立たないといけない、というように考えがち(間違っているわけではないのだが)であり、それで消えてしまうテーマがあるともったいないなぁ、と思った次第。