世界史を知ると世界が見えてくる

今日は SEG 増谷世界史クラスの同窓会。年に1回程度、塾の同窓生で集まっているのである。奈良にいたころはなかなか参加できなかったが、東京に来てからは参加しやすくなったので(増谷先生のお宅が車で20分くらいだし)、しょっちゅう参加させてもらっている。

今回も新しく参加される方がいらして、増谷先生が NHK 教育テレビを見ていたら卒業生が美術史の説明をしていたので、ダメ元で実家に手紙を出したら連絡がついた、という奇跡の展開。お話も、さすが美術史がご専門なので色々「へー」と思うことが多く、ためになる(そういえば、後から増谷先生にメールをいただいて気が付いたが、今回はあまり自分たちの話をしなかった)。この会に参加するといつも思うのは「教養」の力で、こういう素養は一朝一夕で身につくものではないし、常にそういう意識で生活していないとどんどん薄れていくのだな、ということである。(自分も昔は各国の首相や大統領の名前を知らないなんてありえない、と思っていたものだが、今はどの国の首相が誰、というのは特に興味があるわけではなく、自分自身「大衆」と化している)

数えてみるともう自分が SEG を卒業してから20年で(高校の同窓会が20年記念)、そのうち7年間は文3(ほとんどが文学部、教育学部に進学するクラス)〜科学史・科学哲学にいたが、そこから先は自然言語処理が専門になり、歴史に興味があった時期の2倍も工学に浸かっているのだな、と思ったりする。

たまたま前日に「ベルサイユのばら」の新刊を読んでいて、ベルばらでも読まないかぎり「マリア・テレジア」なる固有名詞が自分の人生に登場することはほとんどないのだが、この同窓会に来ると日常会話で「マリア・テレジア」が出てきたりするのがおもしろい。200年前、300年前のことでも、それがまるで2-3年前のことであるかのように語らい、そういう時の流れの中で生きている、というのが懐かしく感じる。自分自身、20歳のころは、そういうふうに「どんなことがあっても変わらないもの」に心惹かれていたので、今のように日進月歩で「最先端」が変わり、20年後どころか2年前の論文が「古典」と言われるような研究テーマで研究していたりするなんて、想像もできなかった。

やっぱりこんなに「最先端」が安売りされるような研究の仕方は持続可能ではないと思うし、せめて自分が「最終講義」をするとき「この研究にはこういう意味があった」と言えるようなテーマに貢献したいと思ったりする。すぐに陳腐化するのが全く無意味だというわけではなく、若手のモチベーション維持には有効だったり、教育的には意味があると思っているのだが、「サッサと公開できなかったがために、お蔵入りになってしまう」というのは、世に出すという経験をする機会が奪われてしまうので、善し悪しだなと思う。

ちなみに「図説ウィーンの歴史」と「はらぺこあおむし」の携帯版をいただいたが、娘は「図説ウィーンの歴史」を熱心に読んでいた。将来ウィーンに行きたい、とでも言い出すのだろうか……。

図説ウィーンの歴史 (ふくろうの本)

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